コロナ禍で在宅勤務が取り入れられ、巣ごもり環境で数カ月を過ごした人も多いのではないだろうか。初めての経験に最初は戸惑い、通常の仕事や生活を送るにも苦労をしただろうが、慣れてしまえば意外に良いところも発見するものだ。例えば、あの満員電車に揺られずに済む、自分の都合の良いタイミングでリフレッシュしやすい、など。人によっては1日に使える時間が相当増えたと喜んだ人もいるという。またそんな時間を使って、家の掃除や整理、特に“断捨離”にトライする人が多いとニュースで見た。断捨離を行っていると、過去のモノを通じて、思い出を振り返り一向に作業が進まないという人もいるだろう。例えば、洋服。「これはいつ着たな」「これを着ていた時はこうだった」など。さらにファッショントレンドは繰り返す、また数年経てば着られるかもしれない。現にここ数年間、ファッションのトレンドは90年代に回帰している。で、結局のところ、あまり捨てられない。本や音楽、これらも同様だ。様々な思い出や記憶が残っている。一目見ただけでそのときの情景がありありと浮かんでくる。そこには記憶の映像を呼び覚ますスイッチのように、奥へ奥へと広がる世界が潜んでいる。

今回のコロナ禍で、映像業界は大きな打撃を受けた。屋外で大手を振ってカメラを回していると嫌な目で見られる。そう、社会から望まれないシーンなのだ。映画然り、テレビ番組然り。CMも新たなものを撮影するのに待ったがかかった。仕方がない、こんな環境なんだから。そもそもソーシャルディスタンスがルールとなる中、大人数での撮影・編集はやっている側のリスクもそうだが、そこで何かあった際にクライアントのリスクの方が大きい。誰しもがそう思い動きを止めた。しかし、NIKEは違った。これまで様々なアスリートを起用し、世界中の人々を鼓舞する刺激的キャンペーンを展開してきた同社は、このコロナ禍において敢えて新たなキャンペーン「You Can’t Stop Us」を発表し、「Never Too Far Down」を冠した動画を公開した。もちろんコロナ禍のため、新たなCMを企画するのは他社と同様に難しい。しかしこれまでNIKEは、スポーツをモチーフに、見る者の羨望を駆り立てるダイナミックな映像を送り出してきた。こんな状況下でも、人々を鼓舞するメッセージを伝えられないものか。制作チームは決して諦めず、新たに撮影できないならば、あるものから生み出そうと発想を転換。これまで保有してきた過去素材を使い、今の状況できちんと共感を創り出せる新しい内容に仕立て上げ、それを世に送り出したのだ。構成はいたってシンプル。世界中の人々の記憶に染みついた“ヒーローたちの挫折”を取り上げ、そこからの復活劇を改めて見せるというもの。タイガーウッズ(ゴルフ)、セリーナ・ウィリアムス(テニス)、クリスティアーノ・ロナウド(サッカー)、ラファエル・ナダル(テニス)、そしてポール・ジョージ(バスケットボール)。みんな大けがを負い、もがき苦しみ、しかしもう一度、第一線に戻ってきた選手たち。その記憶はスポーツにそこまで関心のない人も含めて、多くの人々の心にしっかりと残っているはず。そして、「We Are Never Too Far Down To Come Back(カムバックできないはずがない)」というコピー。心が折れそうになったときでも、とにかく前を向いて一歩でも進み、自分の心と戦う。そんなアスリートの姿に人々が自分を重ね合わせ、このコロナ禍でも挫けず進めるよう励ましたわけだ。今思えば、同様の気持ちでこの制作チームも事に臨んでいたのかもしれない。決して諦めず、突破口を探し出し目的をやり遂げる。まさにキャンペーンポリシーが、企業側の現場の隅々にまで浸透していたのだろうと感じさせる。ちなみにこのCMは、2020年5月24日にフロリダ州で行われたタイガー・ウッズのカムバックチャリティーマッチ(無観客)の放送中にオンエアされ、580万人の視聴者に届くと共に、YouTubeでも公開後わずか3日で7600万回以上再生されるなど大きな注目を集めた。

Image : NIKE

もちろん、逆風下だからといってそこそこのクオリティで留まってはいない。そこにもクリエイティブなアイデアが活かされている。例えば、米国プロバスケットボールリーグNBAのスター選手、ポール・ジョージが重症を負い、懸命なリハビリの末、見事に復活した姿が映し出されるが、ナレーションには彼の最大のライバルであるレブロン・ジェームズが起用されている。何度もポール・ジョージの前に立ちはだかってきた男が、ここでは彼を力付けその勇気を讃えている。このニクイ演出はバスケファンの間でも大きな話題になった。ローンチのタイミングや人々が共感し語りたくなる仕掛けにより、最後まで見てしまう、思わず涙が出たなど、SNS上でも大反響を巻き起こし、NIKEの企業好感度を上げている。

さらに言うと、NIKEは長年にわたって一貫した制作ポリシーを持っている。世界を相手に、企業ではなく、スポーツそのものの素晴らしさを伝えることに注力しているのだ。自らのためではなく、世界のために、人々のために、というスタンスは多くの人に受け入れられ、今もそのポリシーを貫いている。だからこそ、どんな事態においても、そのポリシーに沿って正しい道を切り開けるとし、方向性の正誤をすぐさま判断できるのだ。政治的なテーマにも臆せず切り込んで行ける。常に人々を勇気付けるというその一点なのだ。この一貫したブランドポリシーの下、過去の素材を活用しながら制作した今回のCMは人々の心の中に同じ文脈のメッセージとして蓄積されていく。自社のビジョン、ミッション、バリュー、あるいはパーパスを振り返り、一貫した姿勢でメッセージングを重ねることの重要性を示した。コロナ禍をきっかけとしつつ、今後変わりゆくコミュニケーション・スタンダードの中で、一つの指針になりそうな事例である。

一方、これは連続性のあるコミュニケーションをしてきたNIKEだからこそできたことで、「自社には当てはめられない」という人もいるかもしれない。それはある意味、正しい。ただし過去にあったもので、“全員の共通記号”として何かを導き出し、それをモチーフにコミュニケーションプランを設計し、接点を創り、大きな成果を上げたものもあるのでここではそれを紹介したい。一つ目はGATORADEが展開したキャンペーン「REPLAY」だ。

アメリカの映画やドラマを観る人は「ああ、あれね」と思い出してもらえるかもしれないが、主人公たちが地元の高校や大学のスポーツ部の試合を思い出すシーン。「あの年のあの時の試合、アイツが決めた3回目のタッチダウンはすごかった! いつでもまぶたの裏に蘇るよ」といった類いの話だ。よくもそこまで古い話を事細かに覚えていて、しかもよく流暢に語れるなあといつも思う。それだけそのスポーツが大好きなんだなあと感心するのだ。この「REPLAY」ではそういった人々の強い記憶をベースに組み立てられたもの。この話を出したら、誰もが語らずにはいられないだろう思い出の試合をその起点としている。

1993年に引き分けた高校アメリカンフットボール、イーストン高校とフィリップスバーグの試合、これを15年を経た後に当時と同じメンバーで再戦させるという企画だ。15年という時を経てなお、誰もが、あのとき、あの場面で、ああなっていたら…と想像を膨らませてきたのは想像に難くない。しかし当事者であれば同時に、もう昔の話だと自身の肉体的な衰えに半ば諦めの念を抱いてしまうのはありそうな話だ。GATORADEは現役のアスリートだけでなく、往年の選手もサポートする飲料ブランド。まだまだ鍛え直してその夢をやり直せるとすでに30代半ばに差しかかった元プレイヤーたちを集め、15年前の試合に勝負を付ける再試合(REPLAY)の実現を呼びかけたのだ。純粋なスポーツ体験として取り組み、90日間の選手のトレーニングや試合をフルサポートし、その様子をウェブ上で公開した。

まるでリアリティ番組におけるダイエットチャレンジ企画のようだが、体が弛み切ってしまった彼らが15年前のすっきりしない記憶とその悔しさから、GATORADEを飲み、なまった体を鍛え直す過酷なトレーニングに挑戦する。そしてそれに耐え抜き、ようやく試合に挑む姿はドキュメンタリー番組さながらの熱さを感じさせた。人々の関心も高く、実際の試合のチケットはわずか90分で完売、ニュースの波及効果はメディア換算すると341万5225ドルに相当、試合開催地域でのGATORADEの売上も63%増加したという。鍛え直すプロセスを様々なメディアで見せたことで、それに寄与するドリンクとしてのイメージも高まったのだろう。作戦としては狙い通りの効果を達成していた。すでに多くの人々の記憶にしっかりと残るその断片をベースにしながら、気持ちを一つに持っていく感情誘導のうまい施策と言える。

REPLAY

スポーツドリンクであるGATORADEは誰もが記憶にあるアメフトの試合を活用したが、人々の記憶に残る歴史文学をモチーフに、その興味を喚起し、成果を上げた事例がある。2009年に流行した豚インフルエンザ禍に対し、パンデミックを収めるべく対応したスウェーデンのストックホルム郡評議会の取り組みだ。豚インフルエンザは、2009年6月にWHOがパンデミックに指定した。発生源は豚の間で流行した豚インフルエンザとされ、これが農場などで豚から人に直接感染し、その後、新型ウイルスとして人々の間で広まった。インフルエンザワクチンは2010年から2011年冬期には完成していたが、パンデミックを抑えるために早期の予防接種が望まれた。しかし、どこの国でも同じかも知れないが、ストックホルムの若者もまたご多分に漏れず、恐れ知らずで行政の言うことなど聞く耳を持たなかった。それどころか反体制の姿勢で“強制的なワクチン接種への反対”を掲げ、街中で声を上げ活動する者たちさえ現れた。健康情報を扱うポータルサイト「Vårdguiden」は、これら若者たちが従来の権威的存在からのメッセージにはまるで振り向かないことを理解し、全く新しい方法で彼らとのリレーションを創り出し、強化する必要性を切実に感じとった。そこで、若者たちと繋がるためにソーシャルメディアの活用を決めたのだが、どのようなコンテンツを投入して若者を振り向かせるのかが課題であった。検討の結果、採用されたのが物語「Decameron」を活用して若者に語りかけることだった。

「Decameron」は、中世のイタリア・フィレンツェで活躍した詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョによる、ヨーロッパではよく知られた物語集だ(日本で言えば、日本昔話に出てくる話が集められたものと言えばわかるだろうか…)。「Decameron」はギリシャ語の10日に由来し、「十日物語」とも呼ばれる。1348年から1353年にかけて書かれたものだ。内容は、1348年に大流行したペストから逃れるため、フィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が、面白おかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、10日間に代わる代わる語り合う100編の物語が収められている。それは恋愛話や失敗談など、ユーモアや色っぽさを含んだ興味深い内容で、若者が好みそうなものだ。テーマは「多くの苦難の後、成功や幸福を得る話」「長い間熱望したもの、あるいは失ったものをとうとう手に入れる話」「不幸な恋人たちの話、あるいは不幸の後に幸福に巡り合う恋人たちの話」「とっさの切り返しで危機を回避した人の話」「妻が夫を、夫が妻を騙す話」など。これに自由テーマも加わる。辛気臭さや説教じみたところがなく、ほぼ笑い話となっており、落ちぶれた貴族や金と女にしか興味がない聖職者、したたかな商人、たくましい庶民、奔放な肉欲に興じる男女などが登場し、その人物像も興味深い。またイスラム世界の説話集「千一夜物語」(日本では「アラビアンナイト」で知られる)から影響を受けているとも言われている。

この10人の登場人物に見立てて、彼らは若者に支持されるインフルエンサーをその語り部に選出し、新たに立ち上げた「The Swine Blog」で彼らの考え方やアイデア、健康への思い、ワクチン接種、豚インフルエンザについて28日間にわたり語ってもらったのだ。ある人はユーモアたっぷりにワクチン接種について語り、音楽ジャーナリストの投稿には関係のあるヒップホップスターたちがコメントを重ねた。そしてFacebookファンページを通じ、徐々にそのブログは若者たちとの接点を増やしていき、若者同士の会話も生まれた。最初の1週間でブログには1400万人が訪れ、Facebookファンページに登録するファンも4000人に上る大きなネットワークメディアとなった。これらの取り組みを通じて、2ヵ月後には目標にしていた若年層におけるワクチン接種率80%の目標をクリアし、88%以上が予防接種済みとなり、世界で最も高い数値を記録したという。またスウェーデンの保健社会問題担当大臣は、このプロジェクトをヨーロッパのベストプラクティスと讃えている。

DECAMERONE STOCKHOLM

これらの事例のように、人との接点を見つけ、会話や共感の糸口としていくことはコミュニケーションの原点だ。海外の旅先で、その言葉や文化が異なる外国人と会話を始めるとき、相手の年代などを推測しながらその興味範囲を探りつつ、会話へと入っていくのは万国共通だろう。コミュニケーション戦略を立案するにあたっては、そのターゲットとなる人々の共通の記憶や体験など、“最大公約数的な何か”を見い出すことが極めて重要になる。もちろん記憶は、人それぞれに異なるものだが、記憶に残るということは印象が強い事柄なわけで、その人の日頃の考え方や感情にも大きな影響を及ぼしているはずだ。人の心に入り込み、そのインサイトを捉える。そこで発見した人々のメモリーは、人を動かすスイッチとなることだろう。さらにNIKEではないが、このコロナ禍を通じて自社が持つ過去の資産や、商品、生活者に紐付く記憶のヒストリーなどを改めて整理しておくことは、Withコロナ/Afterコロナでのブランディングにおいて一つのポイントになってくるだろう。それは改めて自身のポジションを明確にすることと重なる。以前から目指していた企業としてのゴールが、目的が変わらず正しいのならば、さらに自身で納得できるようにその歴史を遡り再整理をしておくこと。一方で、コロナ禍で自社のゴールや目的が異なる方向へ転換を求められるのであれば、それを知るきっかけともなろう。ここに来て、日頃のブランド管理の重要性はより増していくだろう。