コロナ禍で出現した情報混乱。全ての人がプレーヤーとなり、透明性が求められる

コロナ禍ではパンデミックもそうですが、むしろインフォデミックが問題だったと思います。フェイクニュースもあったし、色々な情報発信が問題を抱えていた。情報発信については今では全ての人がプレーヤーと言えます。どこからどこまでが発信者で、どこからが受信者なのかがわからない状態。広告のように一方的に情報を発信しても伝わらないし、それでは必ずバックラッシュ(揺り戻し)が発生します。

このコロナ禍で情報の制御がより重大な問題になっていると、個々人を含めてみんなが感じたはず。こういうときこそ情報の精査が必要で、受け手としてはその情報の信頼度を確認し、送り手としてはその情報の信頼度を担保するやり方を留意しなければならないと思います。ただでさえ、ソーシャルメディア全盛の今は全てが明らかにされてしまう。嘘がつけない時代にいかにその透明性を維持できるかが重要です。今だからこそ、丁寧なコミュニケーションを心掛けないと思わぬ悪評判を招いてしまうかもしれません。

例えば、ニュージーランドの首相はコロナ禍でFacebook Liveによる情報発信をしていました。自分たちがやっていることを、透明性を持って決定のプロセスから開示していった。無言実行でなく有言実行。喧伝せず、黙々と成し遂げるのがカッコイイなどと思われていた時代はもう昔です。目標を掲げ、プロセスを明らかにし、各ステークホルダーを巻き込み、共に作り上げていく形でないと受け入れてもらえない。一方的な言動では誰も付いてこない時代なんです。

制作から事業まで、共に作り上げるスキーム

制作から事業まで、ユーザーとサービス主体が共に作り上げるといったことはAirbnbのように企業でも可能です。みんなを巻き込み、共に創る。先の事例にあるオープンソースみたいな考え方が、今後もっと領域を拡げて活発になってくると思います。クラウドファンディングやクラウドソーシングなど、ただ単に金を集める、金を稼ぐという目的だけでなく、そこへの意志を持った参加感が人々にとっては魅力になっていると思います。そのスキーム自体がコンテンツとなり、みんなが参加することになれば、それ自体がPRにもなり得ます。カンヌの事例にある「The Swedish Number」なんかも国民全員で新たな観光ガイドを作るような仕組み。これも国民が積極参加しているからこそ面白いものになる。よくある「みんなで一丸になりましょう」という意識啓発だけではなく、みんなで作りましょうという、何かの形が見える、自分もアクションを起こせるものの方が共感を得られ、受け入れられると思います。「みんなで作り、みんなのためになる」といった循環型の価値観がこれからは当たり前になるような気がします。

サブスクなども共に作り上げるものの一つかもしれません。映像系のサブスクでは成約の時点で消費者は何も見ていません。しかし、どんどんコンテンツを見て、サービスが向上していくのを楽しんでいる。車もサブスク的になってきていますが、販売成約の後、どのようなサービスを受けられるかが重要視されるようになってきている。それぞれ生活の中に入り込んでから、ユーザー自身が気付かないような欲求を、日頃のアクションから見い出し、新たなサービスとして具体化し提供する。その意味で共に育てるサービスであり、人をきちんと見て、中長期で繋がる、寄り添う思想を持っているのだと思います。

デジタル上で重要なデータは、属性よりもアクション

従来の広告では、消費者の属性を重視してきました。しかしデジタルの世界では属性といった、ある個人を定義することは重要ではなく、アクションにこそ意味があります。中国などでも消費者のアクションデータを集め、消費者からのフィードバックに学んでいます。それによってサービスが向上し、さらに新しいサービスが生まれます。中国でデジタルが進んでいるのは、デジタル上できちんとフィジカルな行動を起こさせているからです。アクションを基軸に人と接することが重要で、それがわかっている人たちはオンライン上で成功しています。

例えば私がTwitterで投稿するときにも、受け手は知識を求めてはいるものの、自分がその先のアクションを起こせるようなツイートにこそ反応してきます。情報取得のみで終わるよりも、自分を行動に駆り立てる、何かしらのきっかけが常に望まれているようです。情報価値はその機能を果たすかどうかで評価されている気がします。

たった一つのきっかけでも、全く新しい習慣が生み出される

事例にあるライブコマースのようなサービスは、単なるECとは異なり、チャットができたり、会話ができたり、ゲームができたりと何かしらのアクションを付加し工夫されています。そこが重要になってきています。また「Fortnite」でのトラビス・スコットのイベントに参加した人は、設計が見事でアクション感が良いと言っていました。実はゲームは仮想的ですがアクションでもあります。中国では企業が消費者にアプリをいかに使わせるかといった努力をしていますが、アプリはポイントが貯まったりする点で、ある種ゲームと同じだと思っています。中国では至るところでQRコードを読ませますが、データは逆に消費者に戻ってきて、ゲーミフィケーションの役割を果たしているのです。

オンラインジムの話は、昔VHSが普及したときに、ジェーン・フォンダのレクチャービデオが凄く売れて、それを使って家でトレーニングを始める女性のフィットネス愛好家が急増したという話を思い出しました。その当時はジムと言えば、男性のボディビルダー用のものがほとんどで女性はそこには行きづらかった。そんな環境で受け入れられた自宅フィットネスが、また今の時代にオンラインジムとして流行るかもしれない。今回はデジタルテクノロジーが可能にするのです。これにより、全く新しい習慣が生まれることもあろうかと思います。

企業やブランドは立場を明らかにし、行動しなければ生き残れない時代

昨今、海外では企業に中立性はなくなったと言われています。中立性を保つことの方が、どちらかの立場をとるよりも危ないと言われています。自分たちの立ち位置をきっちりと表明した人が、社会の信頼性を勝ち取れる。どっち付かずは信用されません。そしてもう一つ気を付けたいのは、情報が氾濫しているデジタル上で、いくら「こう思っています」と言ってもそれは力を持たないということ。語るべき何かをもっている、アクションを起こせる人が優位となります。そのためwoke-washing、green-washingといった、社会や環境のために何か良いことをしているよう見せかける、掛け声だけのキャンペーンはすぐに見破られ、非難の対象となります。デジタル空間では真実が明らかになってしまうからです。言動一致していないと誰も信用してくれず、話すら聞いてもらえません。

「社会建設」というアイデア

90年代まで日本の企業では、“社会建設”という言葉が普通に使われていたと読んだことがあります。会社で働くということは社会を支えること、つまり良い社会を作ることだと考えられていたんですね。しかしながら、バブル期以降は企業が社会との関係性を失っていってしまった。加えて90年代以降は、企業活動が消費者も従業員も特段幸せにしていないことが実感として明らかになるにつれて、経済が豊かになれば社会が豊かになるというロジックも破綻していきました。社会に密着し、事業を通して人を助けるというアイデアが今はなくなりました。もう一度企業は自分たちのポジションを社会にしっかり作り、その価値を埋め込まなければいけないと思います。

黒鳥社コンテンツ・ディレクター

若林 恵

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書に『さよなら未来』、編著に『次世代銀行は世界をこう変える』『次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』。