ドリフやタケちゃんマンを見て、翌日には友だちとマネをして笑い合う。「昨日のあれ、オモシロかったね!」と言えば、すぐに「あれはないでしょ!」と返せる。そんなツーカーな毎日が懐かしくも思える。お茶の間で、家族そろってテレビを見ていた時代は、情報は画一的ではあったものの、人々の知識量がある程度同等であったため、話題も共通だったし、その粒度も会話の往復を邪魔しない程度にマッチしていたと思う。今やソーシャルメディアが台頭し、世の中には情報が溢れ返っている。情報を集めようと思えば、際限なく入手できるし、アーカイブすれば膨大な量に膨れ上がるだろう。一つの情報の詳細を掘り下げれば、理解できるかはともかく、これまた専門家レベルまで到達することもあるのではないか。そんな情報感度の高い人と会話をするのは、何となく生活動線で見聞きした情報のみで十分な人にとっては苦痛かもしれない。多分、一方的にその説明を聞くことになるだろうから。

そんな情報氾濫時代に、人は何に関心を持つのか。ソーシャルメディアの一時代前は、”検索エンジン全盛の時代”だった。知らない言葉を検索し、色々な方面からの情報が効率的に入手できた。自ら情報を引っ張ってくる方式。知りたい情報に辿り着くまで少しの労力を要したかもしれない。今このソーシャルメディア時代は、うまく設定すれば知りたいことのほぼ全てが自動的に自分の手元に集まってくる。溶けたアイスに群がるアリのように、はたまたチュールを欲しがるネコのように。しかし、情報の洪水は人々を不感症にする。「へー、そうなんだ!」とか「えっ、マジで?」という、情報を獲得したときの驚き、あるいは満足感といったものがどうも希薄になってきていませんか。どうです? そして我々のようなコミュニケーション業界では、敏感すぎて鈍感に成り果てた人々を再度振り向かせるような”事件”を作り、”ニュースにする”という手法に辿り着くのだ。

当初、このやり口は”驚き”がその中心にあったかもしれない。大きな音、目の前で起こる予想外の展開など、まるで自分がテレビプログラムの「どっきり」に引っかかったようなシチュエーション。「びっくりした!」「なんじゃこりゃ?」とソーシャルメディアでその体験について語り散らす。そこに面白半分、関心も半分なフォロワーが機械的にリツイートを施し、ウィルスのようにその情報がネットワークを駆け巡る。そう、まさにバイラルマーケティングと言われるように。しかし、すでにご承知の通り、そこに”理解”や”納得”、”共感”といった要素はなく、受取手の意識を転換する、行動を促すといったことまでは繋がっていかなかった。そう、人が動くには、やはり自分自身が納得していないとダメらしい。でもね、それをきちんとやり遂げる男が出てきたわけです(性別不明ってなってるけど…)。それがご存じ、バンクシー。

via Instagram/@banksy, Image : AP/Aflo

バンクシー

イギリスをベースに活動する正体不明の匿名芸術家。彼がどのような人物なのかについて、巷で語られている情報はすべて憶測であり、その不可解な存在感が逆に人々の興味を駆り立てている。彼は世界中を舞台に神出鬼没を繰り返し、壁・橋などにステンシル(型紙)を使ったグラフィティを残す。それは社会風刺的で、ブラックユーモアを感じさせるメッセージと、そのゲリラ的な発表方法で、多くの注目を集めてきた。しかし、公共物に絵を描くストリートアートは、果たしてアートなのか落書きなのか。見る人によってはヴァンダリズム(破壊行為)とも捉えられる。そのため、バンクシーの活動にも常に賛否両論が付きまとう。

バンクシーは、何の変哲もない場所に独特なストリートアートを残す。無許可の場所で作品を掲出するため”芸術テロリスト”と呼ばれることもある。そのゲリラ的な活動、正体のわからないミステリアス感、グラフィティの魅力、発見されることの希少性から度々話題になり、報道までされるようになった。当初の活動からすでに20年を経てなお、人々の関心は衰えず逆に高まっている。しかし彼への評価は、その表面的なクラフトに対するものではない。いきなり国や政府にもの申すようなエッジーで、しかし共感の持てる風刺的メッセージとしてその絵画(ストリートアート)を残すからこそ賛同される。人々の心の中にある不安や不満、叫びたい言葉を適した場所に、タイミング良く発信するからこそ”事件”となり”ニュース”となる。言わば生活者全般の代表者なのだ。すなわちそれは自分自身、共感しないわけがないのだ。

今回取り上げたコロナ禍でのバンクシーの活動も同様だ。そのアートは、ハリウッド映画で大げさに作り上げられたバットマンやスパイダーマンといった元2次元のヒーローではなく、コロナに敢然と立ち向かうリアルな医療従事者たちこそが我らがヒーローだと伝えている。世界中の人々がその勇気に感動し、感謝を賛辞の言葉や定時の拍手などで表現する中、それを端的に代替表現したのが”現代のヒーロー”というポジションだった。そのタイトルは「Game Changer」。まさにこれまで当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などを革命的、劇的に変化するタイミングを捉え、そのパラダイムシフトの主役が当の医療従事者たちであることを表したのだろう。またこのアートが届けられたのはイギリス南部に位置するサウサンプトン病院。この病院はイギリスで開発中のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)向け治療薬の臨床試験を扱っており、それがちょうど始まったタイミングで、さらには世間の関心が医療従事者に集まるであろう世界赤十字デーの前日、2020年5月7日に届けられている。場所、タイミング、どこをとってもニュースとして取り上げられやすいネタ(コンテンツ)が詰まっている。作品自体は寄贈した病院内で秋まで展示し、その後はオークションに出品してNHS(国民医療サービス)に寄付をするという。始まりから終わりまで、きちんとストーリーが設計されていることもバンクシーらしさだ。すでに作品の落札予想価格は約6億5000万円以上と目されており、これも数字を欲しがるメディア向けの情報整備がなされているようだ。

またこのアートには異なる見方が存在する。「バンクシーは風刺画家であり、このコロナ禍でもそれを忘れた単なるおセンチな行動であるわけがない」と、識者がそれぞれの見解を示している。例えば、「医療従事者をヒーローとして扱っているが、結局バットマンなどと同様、飽きられて使い捨てになるという未来を表しているのではないか?」というもの。この騒動下ではみんなが感謝を示しているものの、それは医療従事者たちがボランティア精神を発揮しているからであり、政府は彼らに頼り切りで何もできていない。この後、医療従事者たちは報われないという批判も含んでいるというのだ。また、看護師の胸に描かれた赤十字のマークについても同様だ。ご存知、赤十字は戦争や天災などの際に救護活動を行う「人道支援団体」の総称。この絵で医療従事者はボランティア団体の白衣を着用させられ、国家危機の最前線で闘うことを強いられているという意味だという。確かにバンクシーは寄贈するときに、「みなさんの活動に感謝します。モノクロ作品となりますが、少しでも現場が明るくなることを願っています」と手紙を送っているが、モノクロであることを強調しつつ、実は唯一、看護師の胸の赤十字マークだけは赤で彩色されており、見る側の注意を惹き付ける仕掛けが施されているのだ。様々な見方を通じて議論を巻き起こす、これもバンクシー流と言ってもいいだろう。

このようにバンクシーには共感を創るメッセージ力とタイミングを計る洞察力がある。さらに営利目的でなく、単なる売名行為でもない(正体不明だからね)。だからこそ誰からも反発を受けず、自然な賛同を得られるのだろう。活動を重ねるごとに彼の崇高な精神がはっきりと形を成して感じられるようになってきた気さえする。

種明かしとなるが、バンクシーにも原型がある。それが同じくアーティストであるダミアン・ハースト。彼も元々、”事件を作り、作品を輝かせる”ことに長けた存在だ。バンクシーと同じ英国ブリストル出身で、バンクシーのプロジェクトに参加したこともあるという。作品を発表するときには、何かしらのお騒がせ事件を引き起こす。それに紐付き、アートに興味のない人々までが彼や作品のことを口の端に載せるのだ。話題のものは価値が高騰するのは常識。その仕組みがともかく巧みなのだ。良いものを残して、死後話題になる、高値が付くという人生を彼は根本から嫌っていたのかもしれない。彼も異なる意味で”Game Changer”と言える。しかし、今回のコロナ禍では彼も社会の空気を読み、抗議の声やネガティブな評価よりも共感と賛同の道を選んだのかもしれない。バンクシーと同じくNHS(国民保健サービス)のスタッフに感謝を表明するため、「Butterfly Rainbow」という虹を描いた作品を制作。自身の公式サイトで、無料ダウンロードできるように公開した。イギリスでは現在、多くの家の窓に虹の絵が現れ、ロックダウン渦中の人々を前向きな気分にさせているという。このトレンドのきっかけを作ったのはノース・サマセットのFacebookグループ「Chase the Rainbow」で、同グループは「虹の絵を描いて、窓に置こう。そうすれば、散歩中の子供たちが見つけてくれるだろう」とメッセージしている。この呼びかけに即応したのがダミアン・ハーストだった。彼がよく使用する曼荼羅をモチーフに、虹のそれぞれの色を蝶の羽で構成した作品となっている。ダミアン・ハーストは「イギリス中の病院で働いている、NHSスタッフの見事な仕事ぶりに敬意を表することを何かしたかった。虹は希望の印であり、大人から子供までが虹を描き、家の窓に飾っているのは素晴らしいことだと思う」と語ったという。そしてその作品も売却し、売上4億円ほどを寄付している。

ここでのもう一つのポイントは、支援活動への人々の参加意欲を彼がうまくかき立てているということ。この活動に参加すれば、医療従事者を応援することになるという社会的満足感を達成し、公開されたダミアン・ハーストの作品を所有できるという自己欲求をも満たし、しかもそれが無料だという、参加者にとって一石三鳥構造が設計されているのだ。献身的に世の中に良いことを強いるのではなく、自身の欲求も満たしながらそれを達成させる、非常に緻密に計算された“人を動かす仕組み”と言えよう。この二つの事例を見るだけでも、そのスキームには同様のものが学べるし、その時々のアレンジでこれらが如何様にも進化させられると感じられるのではなかろうか。

まったく新しいものを生み出すことは非常に困難だが、過去に学び進化させるだけでも、大きな成果を生み出せると思えれば、まずはこれに取り組んでみることは意味があるだろう。

Damien Hirst

ダミアン・ハースト

1965年6月7日生まれ。英国ブリストル出身のアーティスト。ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ在学中に、生と死をテーマにした動物の死体などを使った作品を展示し注目を浴びる。その後発表した”サメを巨大な水槽でホルマリン漬けにした作品””牛の親子の体を断面化した作品”などが大きなセンセーションを巻き起こし、一躍世界にその名を轟かせる。奇抜な作品とともに挙動や言動も注目の的で、常に世間を騒がせる存在である。21世紀に最も重要とされる世界的アーティストの一人。なお、バンクシーとは同郷であり、コラボレートした作品を発表し、話題を呼んでいる。

カンヌライオンズの近年の事例を見ても、同様の”小さなところから事件を起こす”というスキームが活用されている。例えば、2017年にグランプリを獲得した「Fearless Girl」(恐れを知らぬ少女)。女性の地位向上を訴えるため、国際女性デーの前日にニューヨークのウォール街、男性中心社会を想起させる銅像「チャージング・ブル」に対抗するように少女像「Fearless Girl」を設置し話題となった。

キャンペーン開始3カ月ほどで、Twitterのタイムラインで46億回、Instagramで7億回以上登場するなど話題化に成功している。このキャンペーンを仕掛けたステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズは、実はNGO/NPOなどではなく資産運用会社。同社は市場調査をもとに業績向上のためのコンサルティングを行っており、調査を通じて経営者やリーダー層に女性が浸透・定着している企業は比較的業績が良く、長期的な価値を創造できるという分析結果を得た。このデータを背景に、女性をもっと登用すべきとのメッセージを社会に訴えかけることを目的にこのキャンペーンを実施したのだ。

その仕掛けが前述の「Fearless Girl」。現代のデジタル一辺倒のコミュニケーション施策において、リアルで局地的な“銅像”の設置という極めて古臭く感じられる戦術だが、この銅像を起点に世界中に共感を巻き起こした。これも人のインサイトを突いた非常に巧妙な戦略が仕掛けられている。まずは銅像のキャラクター。少女という極めて無垢で、社会の悪い慣習に染まっていない設定がポイントだ。大人は社会に出て清濁併せ呑む生活を送っている人が大半。その過程で「悪いことは悪い、改めるべき」と自分が素直に言えなくなっていることは誰しもが思うところだろう。そういったしがらみを排除したとき、あなたは直面した問題に対して真っすぐに向かって行けるかということをこの像は問いかけてくる。そして、もう一つ重要なのは設置された場所だ。男社会の最たるものであるウォールストリートの、それを象徴するように佇むチャージング・ブルの真正面にこの少女像が立つわけだ。そのままだと正面衝突するかもしれないように見えるシーンで、少女は勝ち誇ったように悠々と構える。まさに“恐れを知らない少女”なのだ。この姿を見た女性たちは、最初はショックを受けたという。なぜ怒り狂った雄牛に少女を立ち向かわせるのか。しかしその後、ほぼ全員が「こうありたい」と思ったに違いない。彼女たちは少女を愛でながら共に写真を撮り、自分を鼓舞するために写真をシェアした。それは自分自身へのメッセージなのだ。誰も強制せず、説明もせず、促さず、これらの活動が拡がり続けている。

キャンペーンの要は銅像の設置。もちろん、そのクラフトへの情熱や設置場所の交渉などは、想像を絶する大変さだったことは間違いない。しかし、その青図を頭に描いたときに、小さな起点から世界中へ拡がる多数の放物線のイメージが考案者の頭を揺さぶったことだろう。アイデアに確信が持てれば、それをやり遂げる自信と覚悟は自然と生まれるものだ。

Fearless Girl

もう一つの事例は「The Organic Effect」。さきほどの「Fearless Girl」は像の設置を事件化したが、こちらはモノではなくヒト。ある家族が2週間にわたって完全オーガニック食で生活するという、スウェーデンのスーパーであるcoopが仕掛けたオーガニック食材の啓発キャンペーンだ。

オーガニックフードで暮らした、この家族の2週間の結果として農薬(殺虫剤)成分が身体からほぼ検出されなくなったデータを取得し、オーガニック食品の効能を説いていく。通常の食品だと殺虫剤の有毒成分が身体に残ってしまうが、オーガニックフードなら大丈夫だというメッセージを具体化し、積極的に選択させるキャンペーンだ。検証ドキュメンタリーのようなものと言える。身体にどのくらいの影響があるのかを測る実験は、被験者数を広げず、スウェーデンの典型的な家族構成の1家族を対象とした。たった1家族だが、男女の大人や子供、幼児までも含む複数の年齢層で構成されており、各属性で同様の成果が生まれたと訴求する。通常、臨床試験でデータ抽出するときには、ある程度のボリュームで被験者数を用意するのが定石だ。しかし、今回は1家族の2週間を詳細に追うやり方で、その臨床試験をオープンで信頼性あるものとして提示したのだ。

国の研究機関と連携しているものの、少ない被験者のデータにはその信頼性に疑問符が付くものだ。しかし、データをがっちり固めるよりも、「確かに2週間、食事を変えたら健康状態は変わるだろうな」という生活者の納得感に期待し、あえて動画を使ってそのプロセスと結果を生活者へダイレクトに提示した手法はユニークだ。「こんなデータが明らかになりました!」という驚きよりも、生活者の中に漠然と存在していた疑念を明らかにし、「やっぱりね…」と納得させたわけだ。

また注目すべきは「オーガニック食品の方が、その他の食品よりも身体に良いだろう」という緩やかな意識変化を狙うのではなく、「オーガニック食品でないと、ここまで有害物質が身体に蓄積されるんですよ!」という強い注意喚起を行ったことだろう。これもある種のショック療法と言えるが、この結果、「〜の方がいいかも」という意識から、「〜じゃなきゃダメなんだ!」という強い意識へと変化を促し、購買という態度変容に結び付けている。頭で考え、検討する段階まで持っていけたとしてもそれは最終的に目指す成果とは言えない。強い意識転換で「まず買ってみよう」まで一気に持っていったのがこのキャンペーンの凄さかもしれない。また、ともするとこのようなメッセージは、様々な利害関係組織から攻撃を受ける場合もあるが、それを覚悟したうえで大きな声を上げたという企業の意志の強さもまた共感されたに違いない。同スーパーは20年来で最高の売上を達成すると共に、スウェーデン全体でのオーガニック食品の売上も上がるというサステナブルな効果を生んでいる。

The Organic Effect

現在のコロナ禍において、様々な制約が発生する中、緻密に計算された設計図により、ここで紹介したような“小さな事件からニュースを拡げ、大きな共感を生み出す”というスキームは今後益々重要になり活用されていくだろう。イベントで言えば、リアルに大人数を集めた体験を創るよりも、むしろARやVRなどのテクノロジーによる疑似体験で共感を生み出す方法なども当たり前になってくるかもしれない。そしてこのときに最も大切なことは、人々をそこに巻き込みながら思いを一つにして、共感の中で共に活動するというスタンスだ。現代社会では、企業が一方的にプランを決め実行していくことは、たとえその結果が社会や生活者において良いことであったとしても評価されにくくなってきている。生活者の声を聞きながら、共に成し遂げていこうとする姿勢こそが歓迎されるのである。「コトラーのマーケティング4.0」にあるように、企業は生活者が目指すゴールに寄り添いサポートする立ち位置が今求められている。その精神を持ってこそ、“小さなことから大きなうねりを生み出す”ことができるようになるはずだ。