WAYS OF THE FUTURE

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事件を作り、共感を創り出す

「コロナに敢然と立ち向かう医療従事者を、“現代のヒーロー”に見立てたアートが病院に寄贈された。制作したのは匿名のアーティスト、バンクシーである。」そんなニュースが大きな話題を呼んだ。多くのアーティストやセレブ、事業家などが様々な形で医療現場を応援した中で、なぜバンクシーだけがこれほど注目を集めたのだろうか?

ドリフやタケちゃんマンを見て、翌日には友だちとマネをして笑い合う。「昨日のあれ、オモシロかったね!」と言えば、すぐに「あれはないでしょ!」と返せる。そんなツーカーな毎日が懐かしくも思える。お茶の間で、家族そろってテレビを見ていた時代は、情報は画一的ではあったものの、人々の知識量がある程度同等であったため、話題も共通だったし、その粒度も会話の往復を邪魔しない程度にマッチしていたと思う。今やソーシャルメディアが台頭し、世の中には情報が溢れ返っている。情報を集めようと思えば、際限なく入手できるし、アーカイブすれば膨大な量に膨れ上がるだろう。一つの情報の詳細を掘り下げれば、理解できるかはともかく、これまた専門家レベルまで到達することもあるのではないか。そんな情報感度の高い人と会話をするのは、何となく生活動線で見聞きした情報のみで十分な人にとっては苦痛かもしれない。多分、一方的にその説明を聞くことになるだろうから。


そんな情報氾濫時代に、人は何に関心を持つのか。ソーシャルメディアの一時代前は、”検索エンジン全盛の時代”だった。知らない言葉を検索し、色々な方面からの情報が効率的に入手できた。自ら情報を引っ張ってくる方式。知りたい情報に辿り着くまで少しの労力を要したかもしれない。今このソーシャルメディア時代は、うまく設定すれば知りたいことのほぼ全てが自動的に自分の手元に集まってくる。溶けたアイスに群がるアリのように、はたまたチュールを欲しがるネコのように。しかし、情報の洪水は人々を不感症にする。「へー、そうなんだ!」とか「えっ、マジで?」という、情報を獲得したときの驚き、あるいは満足感といったものがどうも希薄になってきていませんか。どうです? そして我々のようなコミュニケーション業界では、敏感すぎて鈍感に成り果てた人々を再度振り向かせるような”事件”を作り、”ニュースにする”という手法に辿り着くのだ。


当初、このやり口は”驚き”がその中心にあったかもしれない。大きな音、目の前で起こる予想外の展開など、まるで自分がテレビプログラムの「どっきり」に引っかかったようなシチュエーション。「びっくりした!」「なんじゃこりゃ?」とソーシャルメディアでその体験について語り散らす。そこに面白半分、関心も半分なフォロワーが機械的にリツイートを施し、ウィルスのようにその情報がネットワークを駆け巡る。そう、まさにバイラルマーケティングと言われるように。しかし、すでにご承知の通り、そこに”理解”や”納得”、”共感”といった要素はなく、受取手の意識を転換する、行動を促すといったことまでは繋がっていかなかった。そう、人が動くには、やはり自分自身が納得していないとダメらしい。でもね、それをきちんとやり遂げる男が出てきたわけです(性別不明ってなってるけど…)。それがご存じ、バンクシー。

via Instagram/@banksy, Image : AP/Aflo
バンクシー

イギリスをベースに活動する正体不明の匿名芸術家。彼がどのような人物なのかについて、巷で語られている情報はすべて憶測であり、その不可解な存在感が逆に人々の興味を駆り立てている。彼は世界中を舞台に神出鬼没を繰り返し、壁・橋などにステンシル(型紙)を使ったグラフィティを残す。それは社会風刺的で、ブラックユーモアを感じさせるメッセージと、そのゲリラ的な発表方法で、多くの注目を集めてきた。しかし、公共物に絵を描くストリートアートは、果たしてアートなのか落書きなのか。見る人によってはヴァンダリズム(破壊行為)とも捉えられる。そのため、バンクシーの活動にも常に賛否両論が付きまとう。

バンクシーは、何の変哲もない場所に独特なストリートアートを残す。無許可の場所で作品を掲出するため”芸術テロリスト”と呼ばれることもある。そのゲリラ的な活動、正体のわからないミステリアス感、グラフィティの魅力、発見されることの希少性から度々話題になり、報道までされるようになった。当初の活動からすでに20年を経てなお、人々の関心は衰えず逆に高まっている。しかし彼への評価は、その表面的なクラフトに対するものではない。いきなり国や政府にもの申すようなエッジーで、しかし共感の持てる風刺的メッセージとしてその絵画(ストリートアート)を残すからこそ賛同される。人々の心の中にある不安や不満、叫びたい言葉を適した場所に、タイミング良く発信するからこそ”事件”となり”ニュース”となる。言わば生活者全般の代表者なのだ。すなわちそれは自分自身、共感しないわけがないのだ。


今回取り上げたコロナ禍でのバンクシーの活動も同様だ。そのアートは、ハリウッド映画で大げさに作り上げられたバットマンやスパイダーマンといった元2次元のヒーローではなく、コロナに敢然と立ち向かうリアルな医療従事者たちこそが我らがヒーローだと伝えている。世界中の人々がその勇気に感動し、感謝を賛辞の言葉や定時の拍手などで表現する中、それを端的に代替表現したのが”現代のヒーロー”というポジションだった。そのタイトルは「Game Changer」。まさにこれまで当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などを革命的、劇的に変化するタイミングを捉え、そのパラダイムシフトの主役が当の医療従事者たちであることを表したのだろう。またこのアートが届けられたのはイギリス南部に位置するサウサンプトン病院。この病院はイギリスで開発中のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)向け治療薬の臨床試験を扱っており、それがちょうど始まったタイミングで、さらには世間の関心が医療従事者に集まるであろう世界赤十字デーの前日、2020年5月7日に届けられている。場所、タイミング、どこをとってもニュースとして取り上げられやすいネタ(コンテンツ)が詰まっている。作品自体は寄贈した病院内で秋まで展示し、その後はオークションに出品してNHS(国民医療サービス)に寄付をするという。始まりから終わりまで、きちんとストーリーが設計されていることもバンクシーらしさだ。すでに作品の落札予想価格は約6億5000万円以上と目されており、これも数字を欲しがるメディア向けの情報整備がなされているようだ。


またこのアートには異なる見方が存在する。「バンクシーは風刺画家であり、このコロナ禍でもそれを忘れた単なるおセンチな行動であるわけがない」と、識者がそれぞれの見解を示している。例えば、「医療従事者をヒーローとして扱っているが、結局バットマンなどと同様、飽きられて使い捨てになるという未来を表しているのではないか?」というもの。この騒動下ではみんなが感謝を示しているものの、それは医療従事者たちがボランティア精神を発揮しているからであり、政府は彼らに頼り切りで何もできていない。この後、医療従事者たちは報われないという批判も含んでいるというのだ。また、看護師の胸に描かれた赤十字のマークについても同様だ。ご存知、赤十字は戦争や天災などの際に救護活動を行う「人道支援団体」の総称。この絵で医療従事者はボランティア団体の白衣を着用させられ、国家危機の最前線で闘うことを強いられているという意味だという。確かにバンクシーは寄贈するときに、「みなさんの活動に感謝します。モノクロ作品となりますが、少しでも現場が明るくなることを願っています」と手紙を送っているが、モノクロであることを強調しつつ、実は唯一、看護師の胸の赤十字マークだけは赤で彩色されており、見る側の注意を惹き付ける仕掛けが施されているのだ。様々な見方を通じて議論を巻き起こす、これもバンクシー流と言ってもいいだろう。


このようにバンクシーには共感を創るメッセージ力とタイミングを計る洞察力がある。さらに営利目的でなく、単なる売名行為でもない(正体不明だからね)。だからこそ誰からも反発を受けず、自然な賛同を得られるのだろう。活動を重ねるごとに彼の崇高な精神がはっきりと形を成して感じられるようになってきた気さえする。

種明かしとなるが、バンクシーにも原型がある。それが同じくアーティストであるダミアン・ハースト。彼も元々、”事件を作り、作品を輝かせる”ことに長けた存在だ。バンクシーと同じ英国ブリストル出身で、バンクシーのプロジェクトに参加したこともあるという。作品を発表するときには、何かしらのお騒がせ事件を引き起こす。それに紐付き、アートに興味のない人々までが彼や作品のことを口の端に載せるのだ。話題のものは価値が高騰するのは常識。その仕組みがともかく巧みなのだ。良いものを残して、死後話題になる、高値が付くという人生を彼は根本から嫌っていたのかもしれない。彼も異なる意味で”Game Changer”と言える。しかし、今回のコロナ禍では彼も社会の空気を読み、抗議の声やネガティブな評価よりも共感と賛同の道を選んだのかもしれない。バンクシーと同じくNHS(国民保健サービス)のスタッフに感謝を表明するため、「Butterfly Rainbow」という虹を描いた作品を制作。自身の公式サイトで、無料ダウンロードできるように公開した。イギリスでは現在、多くの家の窓に虹の絵が現れ、ロックダウン渦中の人々を前向きな気分にさせているという。このトレンドのきっかけを作ったのはノース・サマセットのFacebookグループ「Chase the Rainbow」で、同グループは「虹の絵を描いて、窓に置こう。そうすれば、散歩中の子供たちが見つけてくれるだろう」とメッセージしている。この呼びかけに即応したのがダミアン・ハーストだった。彼がよく使用する曼荼羅をモチーフに、虹のそれぞれの色を蝶の羽で構成した作品となっている。ダミアン・ハーストは「イギリス中の病院で働いている、NHSスタッフの見事な仕事ぶりに敬意を表することを何かしたかった。虹は希望の印であり、大人から子供までが虹を描き、家の窓に飾っているのは素晴らしいことだと思う」と語ったという。そしてその作品も売却し、売上4億円ほどを寄付している。


ここでのもう一つのポイントは、支援活動への人々の参加意欲を彼がうまくかき立てているということ。この活動に参加すれば、医療従事者を応援することになるという社会的満足感を達成し、公開されたダミアン・ハーストの作品を所有できるという自己欲求をも満たし、しかもそれが無料だという、参加者にとって一石三鳥構造が設計されているのだ。献身的に世の中に良いことを強いるのではなく、自身の欲求も満たしながらそれを達成させる、非常に緻密に計算された“人を動かす仕組み”と言えよう。この二つの事例を見るだけでも、そのスキームには同様のものが学べるし、その時々のアレンジでこれらが如何様にも進化させられると感じられるのではなかろうか。


まったく新しいものを生み出すことは非常に困難だが、過去に学び進化させるだけでも、大きな成果を生み出せると思えれば、まずはこれに取り組んでみることは意味があるだろう。

Damien Hirst

ダミアン・ハースト

1965年6月7日生まれ。英国ブリストル出身のアーティスト。ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ在学中に、生と死をテーマにした動物の死体などを使った作品を展示し注目を浴びる。その後発表した”サメを巨大な水槽でホルマリン漬けにした作品””牛の親子の体を断面化した作品”などが大きなセンセーションを巻き起こし、一躍世界にその名を轟かせる。奇抜な作品とともに挙動や言動も注目の的で、常に世間を騒がせる存在である。21世紀に最も重要とされる世界的アーティストの一人。なお、バンクシーとは同郷であり、コラボレートした作品を発表し、話題を呼んでいる。

カンヌライオンズの近年の事例を見ても、同様の”小さなところから事件を起こす”というスキームが活用されている。例えば、2017年にグランプリを獲得した「Fearless Girl」(恐れを知らぬ少女)。女性の地位向上を訴えるため、国際女性デーの前日にニューヨークのウォール街、男性中心社会を想起させる銅像「チャージング・ブル」に対抗するように少女像「Fearless Girl」を設置し話題となった。


キャンペーン開始3カ月ほどで、Twitterのタイムラインで46億回、Instagramで7億回以上登場するなど話題化に成功している。このキャンペーンを仕掛けたステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズは、実はNGO/NPOなどではなく資産運用会社。同社は市場調査をもとに業績向上のためのコンサルティングを行っており、調査を通じて経営者やリーダー層に女性が浸透・定着している企業は比較的業績が良く、長期的な価値を創造できるという分析結果を得た。このデータを背景に、女性をもっと登用すべきとのメッセージを社会に訴えかけることを目的にこのキャンペーンを実施したのだ。


その仕掛けが前述の「Fearless Girl」。現代のデジタル一辺倒のコミュニケーション施策において、リアルで局地的な“銅像”の設置という極めて古臭く感じられる戦術だが、この銅像を起点に世界中に共感を巻き起こした。これも人のインサイトを突いた非常に巧妙な戦略が仕掛けられている。まずは銅像のキャラクター。少女という極めて無垢で、社会の悪い慣習に染まっていない設定がポイントだ。大人は社会に出て清濁併せ呑む生活を送っている人が大半。その過程で「悪いことは悪い、改めるべき」と自分が素直に言えなくなっていることは誰しもが思うところだろう。そういったしがらみを排除したとき、あなたは直面した問題に対して真っすぐに向かって行けるかということをこの像は問いかけてくる。そして、もう一つ重要なのは設置された場所だ。男社会の最たるものであるウォールストリートの、それを象徴するように佇むチャージング・ブルの真正面にこの少女像が立つわけだ。そのままだと正面衝突するかもしれないように見えるシーンで、少女は勝ち誇ったように悠々と構える。まさに“恐れを知らない少女”なのだ。この姿を見た女性たちは、最初はショックを受けたという。なぜ怒り狂った雄牛に少女を立ち向かわせるのか。しかしその後、ほぼ全員が「こうありたい」と思ったに違いない。彼女たちは少女を愛でながら共に写真を撮り、自分を鼓舞するために写真をシェアした。それは自分自身へのメッセージなのだ。誰も強制せず、説明もせず、促さず、これらの活動が拡がり続けている。


キャンペーンの要は銅像の設置。もちろん、そのクラフトへの情熱や設置場所の交渉などは、想像を絶する大変さだったことは間違いない。しかし、その青図を頭に描いたときに、小さな起点から世界中へ拡がる多数の放物線のイメージが考案者の頭を揺さぶったことだろう。アイデアに確信が持てれば、それをやり遂げる自信と覚悟は自然と生まれるものだ。

Fearless Girl

もう一つの事例は「The Organic Effect」。さきほどの「Fearless Girl」は像の設置を事件化したが、こちらはモノではなくヒト。ある家族が2週間にわたって完全オーガニック食で生活するという、スウェーデンのスーパーであるcoopが仕掛けたオーガニック食材の啓発キャンペーンだ。


オーガニックフードで暮らした、この家族の2週間の結果として農薬(殺虫剤)成分が身体からほぼ検出されなくなったデータを取得し、オーガニック食品の効能を説いていく。通常の食品だと殺虫剤の有毒成分が身体に残ってしまうが、オーガニックフードなら大丈夫だというメッセージを具体化し、積極的に選択させるキャンペーンだ。検証ドキュメンタリーのようなものと言える。身体にどのくらいの影響があるのかを測る実験は、被験者数を広げず、スウェーデンの典型的な家族構成の1家族を対象とした。たった1家族だが、男女の大人や子供、幼児までも含む複数の年齢層で構成されており、各属性で同様の成果が生まれたと訴求する。通常、臨床試験でデータ抽出するときには、ある程度のボリュームで被験者数を用意するのが定石だ。しかし、今回は1家族の2週間を詳細に追うやり方で、その臨床試験をオープンで信頼性あるものとして提示したのだ。


国の研究機関と連携しているものの、少ない被験者のデータにはその信頼性に疑問符が付くものだ。しかし、データをがっちり固めるよりも、「確かに2週間、食事を変えたら健康状態は変わるだろうな」という生活者の納得感に期待し、あえて動画を使ってそのプロセスと結果を生活者へダイレクトに提示した手法はユニークだ。「こんなデータが明らかになりました!」という驚きよりも、生活者の中に漠然と存在していた疑念を明らかにし、「やっぱりね…」と納得させたわけだ。


また注目すべきは「オーガニック食品の方が、その他の食品よりも身体に良いだろう」という緩やかな意識変化を狙うのではなく、「オーガニック食品でないと、ここまで有害物質が身体に蓄積されるんですよ!」という強い注意喚起を行ったことだろう。これもある種のショック療法と言えるが、この結果、「〜の方がいいかも」という意識から、「〜じゃなきゃダメなんだ!」という強い意識へと変化を促し、購買という態度変容に結び付けている。頭で考え、検討する段階まで持っていけたとしてもそれは最終的に目指す成果とは言えない。強い意識転換で「まず買ってみよう」まで一気に持っていったのがこのキャンペーンの凄さかもしれない。また、ともするとこのようなメッセージは、様々な利害関係組織から攻撃を受ける場合もあるが、それを覚悟したうえで大きな声を上げたという企業の意志の強さもまた共感されたに違いない。同スーパーは20年来で最高の売上を達成すると共に、スウェーデン全体でのオーガニック食品の売上も上がるというサステナブルな効果を生んでいる。

The Organic Effect

現在のコロナ禍において、様々な制約が発生する中、緻密に計算された設計図により、ここで紹介したような“小さな事件からニュースを拡げ、大きな共感を生み出す”というスキームは今後益々重要になり活用されていくだろう。イベントで言えば、リアルに大人数を集めた体験を創るよりも、むしろARやVRなどのテクノロジーによる疑似体験で共感を生み出す方法なども当たり前になってくるかもしれない。そしてこのときに最も大切なことは、人々をそこに巻き込みながら思いを一つにして、共感の中で共に活動するというスタンスだ。現代社会では、企業が一方的にプランを決め実行していくことは、たとえその結果が社会や生活者において良いことであったとしても評価されにくくなってきている。生活者の声を聞きながら、共に成し遂げていこうとする姿勢こそが歓迎されるのである。「コトラーのマーケティング4.0」にあるように、企業は生活者が目指すゴールに寄り添いサポートする立ち位置が今求められている。その精神を持ってこそ、“小さなことから大きなうねりを生み出す”ことができるようになるはずだ。

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記憶を手掛かりに、接点を見い出す

「どれほど辛い状況だろうと、私たちはカムバックできる。」このコロナ禍の中でNIKEによる一本のCMに世界中の人々が感動し、勇気付けられた。ロックダウンにより新たな撮影ができない中、いかにしてNIKEは高いクオリティの映像を創り出したのだろうか?

コロナ禍で在宅勤務が取り入れられ、巣ごもり環境で数カ月を過ごした人も多いのではないだろうか。初めての経験に最初は戸惑い、通常の仕事や生活を送るにも苦労をしただろうが、慣れてしまえば意外に良いところも発見するものだ。例えば、あの満員電車に揺られずに済む、自分の都合の良いタイミングでリフレッシュしやすい、など。人によっては1日に使える時間が相当増えたと喜んだ人もいるという。またそんな時間を使って、家の掃除や整理、特に“断捨離”にトライする人が多いとニュースで見た。断捨離を行っていると、過去のモノを通じて、思い出を振り返り一向に作業が進まないという人もいるだろう。例えば、洋服。「これはいつ着たな」「これを着ていた時はこうだった」など。さらにファッショントレンドは繰り返す、また数年経てば着られるかもしれない。現にここ数年間、ファッションのトレンドは90年代に回帰している。で、結局のところ、あまり捨てられない。本や音楽、これらも同様だ。様々な思い出や記憶が残っている。一目見ただけでそのときの情景がありありと浮かんでくる。そこには記憶の映像を呼び覚ますスイッチのように、奥へ奥へと広がる世界が潜んでいる。


今回のコロナ禍で、映像業界は大きな打撃を受けた。屋外で大手を振ってカメラを回していると嫌な目で見られる。そう、社会から望まれないシーンなのだ。映画然り、テレビ番組然り。CMも新たなものを撮影するのに待ったがかかった。仕方がない、こんな環境なんだから。そもそもソーシャルディスタンスがルールとなる中、大人数での撮影・編集はやっている側のリスクもそうだが、そこで何かあった際にクライアントのリスクの方が大きい。誰しもがそう思い動きを止めた。しかし、NIKEは違った。これまで様々なアスリートを起用し、世界中の人々を鼓舞する刺激的キャンペーンを展開してきた同社は、このコロナ禍において敢えて新たなキャンペーン「You Can’t Stop Us」を発表し、「Never Too Far Down」を冠した動画を公開した。もちろんコロナ禍のため、新たなCMを企画するのは他社と同様に難しい。しかしこれまでNIKEは、スポーツをモチーフに、見る者の羨望を駆り立てるダイナミックな映像を送り出してきた。こんな状況下でも、人々を鼓舞するメッセージを伝えられないものか。制作チームは決して諦めず、新たに撮影できないならば、あるものから生み出そうと発想を転換。これまで保有してきた過去素材を使い、今の状況できちんと共感を創り出せる新しい内容に仕立て上げ、それを世に送り出したのだ。構成はいたってシンプル。世界中の人々の記憶に染みついた“ヒーローたちの挫折”を取り上げ、そこからの復活劇を改めて見せるというもの。タイガーウッズ(ゴルフ)、セリーナ・ウィリアムス(テニス)、クリスティアーノ・ロナウド(サッカー)、ラファエル・ナダル(テニス)、そしてポール・ジョージ(バスケットボール)。みんな大けがを負い、もがき苦しみ、しかしもう一度、第一線に戻ってきた選手たち。その記憶はスポーツにそこまで関心のない人も含めて、多くの人々の心にしっかりと残っているはず。そして、「We Are Never Too Far Down To Come Back(カムバックできないはずがない)」というコピー。心が折れそうになったときでも、とにかく前を向いて一歩でも進み、自分の心と戦う。そんなアスリートの姿に人々が自分を重ね合わせ、このコロナ禍でも挫けず進めるよう励ましたわけだ。今思えば、同様の気持ちでこの制作チームも事に臨んでいたのかもしれない。決して諦めず、突破口を探し出し目的をやり遂げる。まさにキャンペーンポリシーが、企業側の現場の隅々にまで浸透していたのだろうと感じさせる。ちなみにこのCMは、2020年5月24日にフロリダ州で行われたタイガー・ウッズのカムバックチャリティーマッチ(無観客)の放送中にオンエアされ、580万人の視聴者に届くと共に、YouTubeでも公開後わずか3日で7600万回以上再生されるなど大きな注目を集めた。

Image : NIKE

もちろん、逆風下だからといってそこそこのクオリティで留まってはいない。そこにもクリエイティブなアイデアが活かされている。例えば、米国プロバスケットボールリーグNBAのスター選手、ポール・ジョージが重症を負い、懸命なリハビリの末、見事に復活した姿が映し出されるが、ナレーションには彼の最大のライバルであるレブロン・ジェームズが起用されている。何度もポール・ジョージの前に立ちはだかってきた男が、ここでは彼を力付けその勇気を讃えている。このニクイ演出はバスケファンの間でも大きな話題になった。ローンチのタイミングや人々が共感し語りたくなる仕掛けにより、最後まで見てしまう、思わず涙が出たなど、SNS上でも大反響を巻き起こし、NIKEの企業好感度を上げている。


さらに言うと、NIKEは長年にわたって一貫した制作ポリシーを持っている。世界を相手に、企業ではなく、スポーツそのものの素晴らしさを伝えることに注力しているのだ。自らのためではなく、世界のために、人々のために、というスタンスは多くの人に受け入れられ、今もそのポリシーを貫いている。だからこそ、どんな事態においても、そのポリシーに沿って正しい道を切り開けるとし、方向性の正誤をすぐさま判断できるのだ。政治的なテーマにも臆せず切り込んで行ける。常に人々を勇気付けるというその一点なのだ。この一貫したブランドポリシーの下、過去の素材を活用しながら制作した今回のCMは人々の心の中に同じ文脈のメッセージとして蓄積されていく。自社のビジョン、ミッション、バリュー、あるいはパーパスを振り返り、一貫した姿勢でメッセージングを重ねることの重要性を示した。コロナ禍をきっかけとしつつ、今後変わりゆくコミュニケーション・スタンダードの中で、一つの指針になりそうな事例である。

一方、これは連続性のあるコミュニケーションをしてきたNIKEだからこそできたことで、「自社には当てはめられない」という人もいるかもしれない。それはある意味、正しい。ただし過去にあったもので、“全員の共通記号”として何かを導き出し、それをモチーフにコミュニケーションプランを設計し、接点を創り、大きな成果を上げたものもあるのでここではそれを紹介したい。一つ目はGATORADEが展開したキャンペーン「REPLAY」だ。


アメリカの映画やドラマを観る人は「ああ、あれね」と思い出してもらえるかもしれないが、主人公たちが地元の高校や大学のスポーツ部の試合を思い出すシーン。「あの年のあの時の試合、アイツが決めた3回目のタッチダウンはすごかった! いつでもまぶたの裏に蘇るよ」といった類いの話だ。よくもそこまで古い話を事細かに覚えていて、しかもよく流暢に語れるなあといつも思う。それだけそのスポーツが大好きなんだなあと感心するのだ。この「REPLAY」ではそういった人々の強い記憶をベースに組み立てられたもの。この話を出したら、誰もが語らずにはいられないだろう思い出の試合をその起点としている。


1993年に引き分けた高校アメリカンフットボール、イーストン高校とフィリップスバーグの試合、これを15年を経た後に当時と同じメンバーで再戦させるという企画だ。15年という時を経てなお、誰もが、あのとき、あの場面で、ああなっていたら…と想像を膨らませてきたのは想像に難くない。しかし当事者であれば同時に、もう昔の話だと自身の肉体的な衰えに半ば諦めの念を抱いてしまうのはありそうな話だ。GATORADEは現役のアスリートだけでなく、往年の選手もサポートする飲料ブランド。まだまだ鍛え直してその夢をやり直せるとすでに30代半ばに差しかかった元プレイヤーたちを集め、15年前の試合に勝負を付ける再試合(REPLAY)の実現を呼びかけたのだ。純粋なスポーツ体験として取り組み、90日間の選手のトレーニングや試合をフルサポートし、その様子をウェブ上で公開した。


まるでリアリティ番組におけるダイエットチャレンジ企画のようだが、体が弛み切ってしまった彼らが15年前のすっきりしない記憶とその悔しさから、GATORADEを飲み、なまった体を鍛え直す過酷なトレーニングに挑戦する。そしてそれに耐え抜き、ようやく試合に挑む姿はドキュメンタリー番組さながらの熱さを感じさせた。人々の関心も高く、実際の試合のチケットはわずか90分で完売、ニュースの波及効果はメディア換算すると341万5225ドルに相当、試合開催地域でのGATORADEの売上も63%増加したという。鍛え直すプロセスを様々なメディアで見せたことで、それに寄与するドリンクとしてのイメージも高まったのだろう。作戦としては狙い通りの効果を達成していた。すでに多くの人々の記憶にしっかりと残るその断片をベースにしながら、気持ちを一つに持っていく感情誘導のうまい施策と言える。

REPLAY

スポーツドリンクであるGATORADEは誰もが記憶にあるアメフトの試合を活用したが、人々の記憶に残る歴史文学をモチーフに、その興味を喚起し、成果を上げた事例がある。2009年に流行した豚インフルエンザ禍に対し、パンデミックを収めるべく対応したスウェーデンのストックホルム郡評議会の取り組みだ。豚インフルエンザは、2009年6月にWHOがパンデミックに指定した。発生源は豚の間で流行した豚インフルエンザとされ、これが農場などで豚から人に直接感染し、その後、新型ウイルスとして人々の間で広まった。インフルエンザワクチンは2010年から2011年冬期には完成していたが、パンデミックを抑えるために早期の予防接種が望まれた。しかし、どこの国でも同じかも知れないが、ストックホルムの若者もまたご多分に漏れず、恐れ知らずで行政の言うことなど聞く耳を持たなかった。それどころか反体制の姿勢で“強制的なワクチン接種への反対”を掲げ、街中で声を上げ活動する者たちさえ現れた。健康情報を扱うポータルサイト「Vårdguiden」は、これら若者たちが従来の権威的存在からのメッセージにはまるで振り向かないことを理解し、全く新しい方法で彼らとのリレーションを創り出し、強化する必要性を切実に感じとった。そこで、若者たちと繋がるためにソーシャルメディアの活用を決めたのだが、どのようなコンテンツを投入して若者を振り向かせるのかが課題であった。検討の結果、採用されたのが物語「Decameron」を活用して若者に語りかけることだった。


「Decameron」は、中世のイタリア・フィレンツェで活躍した詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョによる、ヨーロッパではよく知られた物語集だ(日本で言えば、日本昔話に出てくる話が集められたものと言えばわかるだろうか…)。「Decameron」はギリシャ語の10日に由来し、「十日物語」とも呼ばれる。1348年から1353年にかけて書かれたものだ。内容は、1348年に大流行したペストから逃れるため、フィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が、面白おかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、10日間に代わる代わる語り合う100編の物語が収められている。それは恋愛話や失敗談など、ユーモアや色っぽさを含んだ興味深い内容で、若者が好みそうなものだ。テーマは「多くの苦難の後、成功や幸福を得る話」「長い間熱望したもの、あるいは失ったものをとうとう手に入れる話」「不幸な恋人たちの話、あるいは不幸の後に幸福に巡り合う恋人たちの話」「とっさの切り返しで危機を回避した人の話」「妻が夫を、夫が妻を騙す話」など。これに自由テーマも加わる。辛気臭さや説教じみたところがなく、ほぼ笑い話となっており、落ちぶれた貴族や金と女にしか興味がない聖職者、したたかな商人、たくましい庶民、奔放な肉欲に興じる男女などが登場し、その人物像も興味深い。またイスラム世界の説話集「千一夜物語」(日本では「アラビアンナイト」で知られる)から影響を受けているとも言われている。


この10人の登場人物に見立てて、彼らは若者に支持されるインフルエンサーをその語り部に選出し、新たに立ち上げた「The Swine Blog」で彼らの考え方やアイデア、健康への思い、ワクチン接種、豚インフルエンザについて28日間にわたり語ってもらったのだ。ある人はユーモアたっぷりにワクチン接種について語り、音楽ジャーナリストの投稿には関係のあるヒップホップスターたちがコメントを重ねた。そしてFacebookファンページを通じ、徐々にそのブログは若者たちとの接点を増やしていき、若者同士の会話も生まれた。最初の1週間でブログには1400万人が訪れ、Facebookファンページに登録するファンも4000人に上る大きなネットワークメディアとなった。これらの取り組みを通じて、2ヵ月後には目標にしていた若年層におけるワクチン接種率80%の目標をクリアし、88%以上が予防接種済みとなり、世界で最も高い数値を記録したという。またスウェーデンの保健社会問題担当大臣は、このプロジェクトをヨーロッパのベストプラクティスと讃えている。

DECAMERONE STOCKHOLM

これらの事例のように、人との接点を見つけ、会話や共感の糸口としていくことはコミュニケーションの原点だ。海外の旅先で、その言葉や文化が異なる外国人と会話を始めるとき、相手の年代などを推測しながらその興味範囲を探りつつ、会話へと入っていくのは万国共通だろう。コミュニケーション戦略を立案するにあたっては、そのターゲットとなる人々の共通の記憶や体験など、“最大公約数的な何か”を見い出すことが極めて重要になる。もちろん記憶は、人それぞれに異なるものだが、記憶に残るということは印象が強い事柄なわけで、その人の日頃の考え方や感情にも大きな影響を及ぼしているはずだ。人の心に入り込み、そのインサイトを捉える。そこで発見した人々のメモリーは、人を動かすスイッチとなることだろう。さらにNIKEではないが、このコロナ禍を通じて自社が持つ過去の資産や、商品、生活者に紐付く記憶のヒストリーなどを改めて整理しておくことは、Withコロナ/Afterコロナでのブランディングにおいて一つのポイントになってくるだろう。それは改めて自身のポジションを明確にすることと重なる。以前から目指していた企業としてのゴールが、目的が変わらず正しいのならば、さらに自身で納得できるようにその歴史を遡り再整理をしておくこと。一方で、コロナ禍で自社のゴールや目的が異なる方向へ転換を求められるのであれば、それを知るきっかけともなろう。ここに来て、日頃のブランド管理の重要性はより増していくだろう。

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新たな世界に飛び込み、ブランドを拡張させる

「コロナ禍で軒並みイベントが中止される中、人気ラッパーのトラヴィス・スコットがオンラインゲーム内でライブを敢行。1230万人が参加した。」そんな驚きのニュースが伝えられた。バーチャル空間でのライブとして歴史的転換点と絶賛された10分間で、いったい何が起きたのだろうか?

バーチャルプラットフォームとして思い出すのが“Second Life”だ。これは3DCGで構成されたインターネット上の仮想世界。米国Linden Lab社によって提供され、ユーザーはバーチャルな世界で好みのアバターになり、現実世界と異なるもう一つの生活を楽しむ。2003年に正式オープンし、2006年にはアカウントが100万人を超え、最盛期で1600万人のアカウントを抱えた。この空間では、土地の売買や金融取引、また商店の開業や各種の商品販売なども行われ、仮想空間での一攫千金を狙うユーザーもこぞって参画。各企業もこのバーチャル空間に進出し、土地を買い、店を開き、そこを拠点にイベント開催などのプロモーションを行った。仮想空間であり、メディアでもあった。また住人は純粋にその空間を巡り、観光などの娯楽を楽しむ者もいた。この勢いに乗り、日本でも2007年に積極的に紹介されたが、その年のリーマンショックから世界的に景気は落ち込む。この実験空間での経済活動も連動して停滞し始め、2009年には日本の関連事業者も撤退する。Second Lifeの敗因は何だったのか。それは一つの空間に集まれる人数が少なかったこと、また区間をどんどん広げていけるため、逆に人がいない、出会わないという過疎の環境が生まれやすかったことだと言われている。たとえバーチャル空間であっても、人は集まり同じ空間を共に楽しむという欲求を持ち続けるということなのだろう。


人気ラッパー、トラヴィス・スコットが選んだ空間は「Fortnite」だった。コロナ禍でエンターテインメントイベントが軒並み中止を余儀なくされ、もうリアルなイベントは誰もできないのかと多くの人々が肩を落とした。それはファンである顧客のみならず、アーティスト側も当然のことながら大きなショックを受けた。グラミー賞やスーパーボウルのゲストとしても活躍し、大躍進中のトラヴィスも同様に、活動の場を失いかけていたのだ。そこで彼は、3億5千万人のユーザーを誇るオンラインゲーム「Fortnite」の中にステージを求めた。これはオンラインシューティングゲームで、1000万人以上が同時にプレイすることもあるという。集い、協力し、一つのミッションを達成するゲームだが、モノや施設をつくる、組み立てるなどのクラフト的な楽しさもある。ベースはありながらも、自身の世界観をそこに移植していけるわけだ。トラヴィス・スコットは、強烈な自己表現者として「Fortnite」上に降臨したわけである。

via Twitter/@FortniteJP, Image : gettyimages
トラヴィス・スコット

1992年4月30日生まれ。米国テキサス州ヒューストン出身のラッパー。2012年にメジャーレーベルのエピックレコードと契約した後、カニエ・ウェスト率いるグッドミュージック、2013年にはT.I率いるグランドハッスルと契約する。2016年、2作目のアルバム「Birds in the Trap Sing McKnight」が初の全米アルバムチャート1位を記録。2018年、3作目のアルバム「ASTROWORLD」が批評家から高く評価され、シングル「Sicko Mode」が初の全米シングルチャート1位を獲得。第61回グラミー賞では最優秀ラップパフォーマンス、最優秀ラップアルバムなどにノミネートされ、さらに評価を高めた。

Fortnite

Epic Games社が販売・配信するアクションビルディングゲーム。約2km四方の小さな島で100人のプレイヤーが戦い、最後まで勝ち残った1人もしくは1組が優勝するというバトルロイヤル型ゲーム。同ジャンルのほかのゲームと異なり、ポップでユーモラスなキャラクターが特長で、みんなでワイワイ盛り上がりながら楽しくプレイできる。また「スキン」と呼ばれるコスチュームが用意され、定番のミリタリー風に加え、動物の着ぐるみ、アフロヘア、スーパーヒーロー風などバラエティ豊かにそろう点が人気。3億5千万人のユーザー数を背景に、音楽業界や企業とのコラボイベントも多数行われている。

トラヴィス・スコットが行ったのは「Astronomical」というタイトルのたった10分にも満たないバーチャルライブ。これに参加するために、1230万人が「Fortnite」を訪れた。東京都の人口が1395万人だから、推して知るべし。とてつもない人数がこの10分間に殺到したわけだ。通常のリアルイベントであれば、収集がつかない事故案件となっただろう。しかし、「Fortnite」にはこれを十分受け入れるポテンシャルがあった。そして、ここは彼の演出を最大限に発揮できる場でもあったのだ。実際、ライブ開始とともに超巨大化したトラヴィス・スコットが登場し、歌いながら「Fortnite」内を練り歩き瞬間移動を繰り返す。楽曲ごとにフィールドが変化し、アバターである参加者は、火の雨にさらされ、水中世界へと引きずり込まれ、最後には宇宙空間へ放出される。そのスピーディなゲーム感と、ビートにシンクロして光や衝撃波が走るなど音楽の高揚感を高めるクリエイティブな映像演出は、まさに仮想空間の可能性を見事に使いこなしたものだった。想像を超えた世界観にユーザーたちは熱狂した。


開演までの時間の演出も、バーチャルならではの面白さが活かされていた。まず運営側からのアナウンスがある。“開場はショーの30分前。早めに入って場所を確保すべし!” 居場所の確保は実際のフェスでは当たり前だが、バーチャル上でも同様に行動するよう促される。ただし、そこはサバイバル空間の「Fortnite」。見知らぬ敵に撃たれて死ぬことなく行進し、ステージまで辿り着かなければいけない。ライブが始まる前からハラハラドキドキさせられるのだ。リアルと仮想空間での出来事がシャッフルされる体験は、参加者にとって初体験だったのではなかろうか。また参加の仕方も色々あり、「Fortnite」のプレイヤーとしてライブに参加するほか、ゲームの実況中継をするライバーたちの配信でイベントを体験したという人も多くいたようだ。オンラインゲームをプラットフォームにしたからこそ、多様な楽しみ方が可能になった。ちなみに、このYouTubeの映像は2020年5月末で4600万回を超えたという。


そもそも、このバーチャルライブはトラヴィス・スコットの3枚目のアルバム「ASTROWORLD」の世界観を具現化したもの。このアルバムは彼の幼少期の原体験から着想を得た。本人も公言しているが、このタイトルはテキサス州ヒューストンにかつて存在した「Six Flags AstroWorld」というアミューズメント・パークの名前からとられた。数多くの絶叫マシーンを心ゆくまで楽しめることで知られていたこの遊園地は1968年に開園。地元の住民たちに長く愛されたが、2005年に解体される。彼にとって相当に思い入れの深い場所であり、今作のリリース時に「地元から奪われたアストロワールドを自分が取り戻す」と語っていたそうだ。今回のバーチャルライブにおいて、かつての遊園地での体験をダイナミックに再現し、多くの人々と共有したというわけだ。


さて、今回のチャレンジは各方面から、「バーチャル空間ならではのライブとして、それを支える技術と環境の融合を果たした歴史的ターニングポイント」と評価された。しかし一番凄いのは通常1年かけて行う世界ツアー興業の収益をこの10分間で稼ぎ出してしまったことだろう。行き場なく訪れたバーチャル空間が、実はアーティストにとって全くのブルーオーシャンとなった画期的な出来事だ。「ライブイベントはリアルで」という人々の固定概念を打ち砕いたのだ。


この成功要因は、Second Lifeのような人々の目的がカオスな場ではなく、「Fortnite」のユーザーというある種の共通項を持つ参加者の世界で、その嗜好にピタリはまった世界観を提示できたことに尽きるだろう。「Fortnite」と言えば過激なシューティングゲームとして有名だ。そのサバイバル感は半端ない。重火器をも使い、建物や人を撃ちまくり、破壊しまくる。そして、ラッパーも物騒な言葉を激しく発し、その姿は金ピカゴージャスで目が眩む。そう、やはり価値観や世界観が通底しているようにも思えるのだ。感情移入ができれば、さらにその関係性は深まる。実際の参加者は「トラヴィスがまるでそこにいたように感じた」と語る。彼らもバーチャル空間に入っていたのにも関わらずだ。もしかすると、トラヴィス・スコットに関心のなかったユーザーもたまたまこのライブに出会い、魅了されたこともあるかもしれない。これもまた新たなファン開拓に繋がっているはず。これまでのリアルイベントで、遠く離れた距離から音楽を聴くという体験よりも、むしろオンラインで参加した方がそのリアルさを感じるという逆説。しかし、これこそが今後のエンターテインメントの在り方になるのかもしれない。

このようにある目的達成に適した新たなプラットフォームへ、新たなターゲットとの接点を求めて踏み込んでいく事例をカンヌライオンズから拾い上げてみたい。「To The Last Tree Standing」はポーランドのGREENPEACEが取り組んだキャンペーンだ。ポーランドとベラルーシの国境地帯に広がるビャウォヴィエジャの森は、ヨーロッパ最後の原生林。ユネスコの世界遺産にも登録されている。しかし、違法な伐採が後を絶たない。取り締まりを行うべきポーランド政府さえも、伐採に対する抗議活動を却下するなど、森林の保護にはなぜか消極的であった。この森を保護するために環境保護団体GREENPEACEが立ち上がる。彼らがターゲットとしたのは、世界中で人気の「MINECRAFT」というゲームのユーザーだ。ポーランドでは800万人のゲーマーがいるが、そのうち実に80万人は「MINECRAFT」のプレーヤーであるという。では、なぜ「MINECRAFT」ユーザーが森林伐採を止める主役となり得るのだろうか。


「MINECRAFT」は主に立方体のブロックで構成されたバーチャル空間。プレイヤーはそのブロックを原則自由に設置・破壊できる。家屋や道路、橋など、自分の世界をどんどん拡張していけるのだ。地上にはそれらの素材となる木々が茂り、地下には松明の材料やかまどの燃料となる石炭の他、鉄や金、エメラルド、ダイヤモンドなど様々な鉱石が埋蔵されており、それらを使うことでより良い生活ができるようになっていく。まさにリアルな世界と同様なのだが、個人の暮らしを組み立てるうえでそれらの資源に接することで、自ずと自然環境への意識が芽生えるとの評価もある。最近では教育現場でも様々な目的で使用されており、エンターテインメントゲーム以外の使われ方も浸透してきている。親世代も「MINECRAFTなら、学びもあるしいいか」と子供たちがゲーム漬けになっていても許容しがちだ。そんな若年層も多いゲームプラットフォームなのである。GREENPEACEはこの「MINECRAFT」内に先のビャウォヴィエジャの森を登場させる。それは500億個ものブロックを使い、700万本の木を植えてバーチャルの世界に描いた広大な森。即座にゲームファンからの注目を集め、オンラインニュースでも大々的に取り上げられた。その美しい森林を眺めながら、プレーヤーはその周辺に様々な建築や造作を施す。その土地を愛し、森林を愛した。しかし事件が起こる。GREENPEACEはある日突然、たった1本を残し、全ての木を切り倒してしまうのだ。美しかった森は、切り株だらけの殺伐とした景色に変わり果て、その姿に多くのユーザーが衝撃を受けた。なぜこんなことが起きたのか…。たった1本だけ残された木の麓で、ユーザーはその事実を知る。そう、これは近い将来のビャウォヴィエジャの森だったのだと。「MINECRAFT」内のみならず、リアルな世界でも同じく、このままでは1本の木さえも残らないかも知れないのだと。


例えば、このような課題に対して働きかけるターゲットを想定した場合、実際のところ日頃から森林伐採に関心のある人はどれだけいるだろう。その森がなくなり、あるとき宅地造成されていたとしても、世の中の人々は便利になったくらいにしか思わない。なくなったものの影響よりも、できたモノに目が行くから。不都合な真実には誰もが目を背けてしまうものだ。前向きな意志を持つ人を見つけられないのであれば、新たなターゲットを見つけ、巻き込んでいくしかない。「MINECRAFT」ユーザーは前述の通り、ある種の環境意識を身に付けている。そしてもう一つ忘れてならないのは、その多くが若年層ユーザーなのだ。ポーランドでは、嘆願書への署名は年齢にして13歳以上のものが有効票として価値を持つ。この若年層は、まだ様々な政治的方針に巻き込まれておらず、純粋な意見を発信できる存在でもある。GREENPEACEは、政治がそのしがらみによって動かないことを理解し諦め、生活者からの声を最大限に拡大すべく、若い彼らに直接アプローチし、自然環境の危機について伝え、彼らの素直な意見を署名として集めたわけである。このキャンペーンは1億人の人々にリーチし、森林保護を訴える嘆願書で17万人の署名を獲得している。伐採を容認し続けていた環境大臣はようやく罷免され、伐採は禁止となったのである。環境意識の高い、政治方針に左右されない、署名への有効票を持ち、素直に自身の意見を言える人々に接点を持てる「MINECRAFT」、そこが世の中を動かすのだ。

To The Last Tree Standing

伝えたいことを効率よく伝えるための“場所”選びというのはとても重要だ。しかし、その“場所”というのは物理的なスペースのみを指していない。そこに紐付くターゲットと、伝えるに適した環境が整っているかどうかが大切だ。世の中の環境が変わり、価値観も変わり、それが加速度的に変化している。それもすぐに気付くほどの激変度合いなのだ。ターゲットの生活様式も価値観も変わりゆく中、その変化の先を捉えた上でコミュニケーション戦略を練らねばならない時代。時にターゲットの懐に入り込むことは極めて重要で、同じ立場となって共に体験を創ることによって、さらなる発見をすることもあろう。しかし、これまでの企業は既成イメージを逸脱することにはなかなか踏み切れないでいた。これからは、今世の中に起きている事象の全てに向き合い、飛び込んでいく姿勢と勇気を持たなければならない。そしてそれこそがネクストスタンダードを生み出す唯一の方法なのだ。しかし、革新は荒廃へのカウントダウンでもある。一つの成功体験に大勢が群がれば、それはアッという間に飽きられ、廃れてしまう。結局のところ我々は常にチャレンジしていかねば生きていけない。

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人の関心を喚起し、議論を生み出す

「ロックダウン中に発売され世界中の人々を癒している人気ゲーム『あつまれ どうぶつの森』内に、ラグジュアリーブランドやメトロポリタン美術館が参入!?」そんなニュースが話題をさらった。牧歌的な生活を楽しむゲームの中で、今何が行われているのか?

無人島脱出のチャレンジ企画番組が人気だ。主人公たちは離れ小島に放置され、最低限の持ち物でしばらく暮らしていかねばならない。もちろん、自給自足だ。とりあえず瓦礫や倒木で雨露を凌ぐスペースを整え、工夫と体力で火をおこし、山に分け入り雑草を試し食いし、海に潜り魚を捕まえる。丸焼きという原始的な調理法で、かろうじて腹を満たし、大きな葉っぱに身体を包まれ眠る。タイトルには“脱出”と付くわけで、そのゴールはもちろん無人島からの離脱なのだが、視聴者はその島での原始的な暮らし、すなわち“探し、作り、捕らえ、食し、眠る”といった人間の極めて簡素な生活のサイクルを、工夫を凝らし少しでも良い状態に持っていこうとする主人公たちの姿に感動し応援するのだ。人間というのはささやかなれど、そこに投じる自らの努力量によって、価値を上げることができるのかもしれない。大きなゴールを目指さなくとも、意外と日々の小さな幸せや満足の積み重ねで、十分生きていく手応えを感じることもできそうだ。


「あつまれどうぶつの森」は、ご存じ任天堂の人気ゲームだ。コロナ禍の2020年3月20日に発売されたが、ロックダウン環境もあってか6週間で1341万本を売り上げて、未だに品薄の状況だ。「あつ森」の特長は、ただただ日常の小さな物事を積み重ねながら暮らしていくという、派手なアクションや目指すべきゴールがないところだ。極めて牧歌的に時が過ぎてゆく。戦闘はなし、厳格なルールや時間制限もなし、倒すべき敵もいない。日常生活で困る“蚊や蜂、あるいはサソリ”以外ではと言うべきか。そして無人島生活よろしく、家を建て、部屋を飾り、釣りをし、フルーツを摘み、花を育てる。時々ご近所さんと会話し、流れ着いた客人と出会い、よその島へ旅行に出かける。そんな平穏な生活を過ごしていくうち、島自体も自然と環境は変わっていき、暮らしやすさが高まってくる。もちろん島に友人を招くこともできるけれど、基本はゆったりのんびり暮らすだけ。その創り込まないシュールな世界観は来る者を拒まないようだ。

Image : NINTENDO
あつまれどうぶつの森

任天堂より2020年3月20日に発売されたNintendo Switch用ゲームソフト。略称「あつ森」。キャッチコピーは「何もないから、なんでもできる」。これまでのシリーズの舞台は主に村だったが、新作では無人島。プレーヤーは、たぬき開発の“たぬきち”が提供する無人島移住パッケージプランに参加し、手つかずの島で2匹の動物とともにイチから生活を始めるゲームである。ナチュラルなサウンドエフェクトや風が草木を揺らす表現などにより、リアルな空気感が追求されている。また島で手に入れた素材で道具や家具などをつくるDIYをはじめ、様々な新しい遊び方ができる。同じ島に住むプレイヤーと最大4人まで同時プレイが可能。

ゆるいアニメーション、刺激を求めないユーザーの世界に、なぜかVALENTINOやMARC JACOBSといったラグジュアリーブランド、米国メトロポリタン美術館など異色の存在がここに参入し始めている。ファッションブランドは、その新作を衣装アイテムとして配布。コロナ禍で外出が制限されお洒落をする機会が少なくなった人々に、バーチャル空間内で着飾る楽しさを提供した。また美術館はゴッホや北斎など40万点以上の絵画コレクションをゲーム内に取り込んで、家に飾れるようにしている。バーチャルな世界の中でステイホームを豊かにしてもらう計らいだ。ユーザー側としては大歓迎の動きだが、その世界感を最も大切にしているファッションブランドが、ディテールを表現できない「あつ森」の世界に進出してくることはとてもミスマッチであり、ギャップを感じる人もいるだろう。しかしそれはユーザーとブランド側双方に今のところ良い影響を生み出しているようだ。ブランド側にとっては、すぐさまモノを買ってもらうということを求めず、ユーザーに近い場所に寄り添っている姿勢を評価され、ファンになってもらうことで目的を果たしているのだ。また、この「あつ森」の世界に政治からの介入さえ始まっているという。介入と言えどクレームを付けるということではなく、米国史上最年少の下院議員であるアレクサンドリア・オカシオ・コルテス議員が「あつ森」内で彼女のフォロワーを訪問し、会話をしているのだ。この事象は、以前のオバマ大統領誕生時にオバマ陣営がSNSを巧みに利用したことを彷彿とさせるような動きではないか。このように若年層と政治との接点さえも生み出しているのが日本発のプラットフォームが「あつ森」なのだ。

Image(Left) : The Metropolitan Museum / Image(Top Right) : via Twitter/@marcjacobs
Image(Down Right) : via Twitter/@MaisonValentino

ちなみにオバマ大統領の選挙戦についても少し触れておこう。これは当時のソーシャルメディアとして勢力を大きく拡大していたFacebookをベースに、バイラルビデオなどを活用した新たな選挙活動のやり方として記憶に新しいだろう。Facebookは2006年に一般開放されてから、瞬く間にその利用者数を増やした。このオバマ氏の選挙戦があった2008年には、創業者のマーク・ザッカーバーグが来日し、日本語版が公開されており、まさにグローバルにも浸透したタイミングと言えよう。元々は学生たちが情報交流するためのプラットフォームだったわけだが、それが大統領選の組織活動のコアとして活用されていったという意味で、これまた意外な組み合わせとも言える。


オバマ米大統領の選挙活動を統括したデービッド・プラフは、「デジタル技術と草の根運動を融合させた点で、アメリカ政治において歴史的だった」と振り返っている。従来のマスメディア広告の力も活用しつつ、ソーシャルメディアなど最新ツールを活用し、支援者コミュニティを広げていったわけだ。これまで我々がテレビ報道で見てきた大統領選は、各地の支援者を招いた大規模集会と個々人との対話や握手、また対立候補をこき下ろすテレビCMなどの手段に頼っていた。これは映画やドラマの見過ぎかも知れないが…。もちろんオバマ陣営もテレビコマーシャルを大胆に活用し、激戦区では2分間のCMを繰り返し流し、選挙運動の最終日には30分のCM枠を買い取ったという。だが注目したいのは、デジタルツールの大胆な投入だ。メールや動画サイトYouTube、そしてFacebook、myspaceといったソーシャルメディアでそのネットワークを拡げた。これにより、大統領選挙の鍵を握るとされる無党派層・政治的無関心層を取り込むための、個々人への直接接触が可能となったという。選挙期間内には10億通のメールを有権者に送信するなどもしており、このオンラインコミュニケーションは政治献金の収集にも寄与し、計400万件、5.8億ドル(約580億円)が支援者から寄せられた。その9割が平均85ドルほど個人による小口献金だったというから凄いことだ。


そしてまた、この選挙戦で注目されたのが、マケイン候補とのフロリダでの対決だ。そこで展開されたのが、ユダヤ人教育研究協議会が実施した「THE GREAT SCHLEP」キャンペーンである。これは激戦区のフロリダ州で票を稼ぐため、同州在住の高齢ユダヤ人居住者を説得するために立てられた特別ミッションなのだ。フロリダ州は民主党と共和党の間で常に揺れ動く州で有名だ。しかし、フロリダ州のユダヤ系の人々は、黒人候補を敬遠しがちだったためオバマにとっては不利な状況にあったと言えよう。彼のミドルネームが“フセイン”というアラブ系のものであったことや、極右勢力によって流されたデマにより、実際はキリスト教徒であったオバマ氏を彼らはイスラム教徒で反イスラエルと誤って信じていた。だが一方で、その孫世代はその改革的なオバマの政策や人柄に好意的だったのだ。そこでオバマ陣営は、この孫世代のユダヤ系の若者たちを自陣に引き込む。そして、フロリダの祖父母の元へ行かせ、保守的な祖父母に対してオバマ候補の素晴らしさについて説明してもらう作戦を立てたのだ。まさに草の根運動に、秘密兵器となる“目に入れても痛くない孫”を投入したのである。「かわいい孫がわざわざ遠くから遊びに来てくれるのなら話を聞いてやろう」「うんうん、オバマがそんなにいいと言うなら私も投票してやろう」と、いとも簡単に祖父母の気持ちを変えてしまうのだ。ちなみに「Schlep」(シュレップ)とは、“非常に退屈で、誰も喜んでやろうとしない仕事をする人”を指す。やりたくないとほとんどの人が思うから、逆に言えば“誰もやっていない領域”にもなり、まさに選挙戦における新しい領域に踏み込んだボランティア活動と評価して然るべきだろう。


そして面白いのがその仕組みだ。実は彼らを起用するキャンペーン用ウェブサイトには、彼ら若者に参加を呼びかけるオンライン上の動画が置かれ、まず彼らはそれに惹かれ参加を決めるわけだ。またそこには“トーキング・ポイント”と呼ばれる“あんちょこ”があり、彼らがオバマ候補の経歴や公約について祖父母に語りやすい仕掛けが用意されている。そして、満を持して多くの若者が、祖父母に会うため全米各地からわざわざフロリダに飛び説得に挑んだのだ。彼らの活動をCNNやニューヨーク・タイムズなど多くのメディアがこぞって紹介した。結果、400万人が協議会の動画を閲覧し、“あんちょこ”は120万回以上閲覧もしくはダウンロードされた。そしてフロリダ在住のユダヤ人からの得票数は、民主党候補として過去30年間で最高数となったという。“選挙戦とソーシャルメディア”という今では当たり前の組み合わせは、このときの“意外な組み合わせ”から始まっている。

少し話がそれたが(オバマの選挙戦は当時、まだ広告の名を冠したカンヌにおいて非常にエポックな出来事だったのでつい説明が長くなってしまった…)、このような“ミスマッチ”で耳目を集め、大きな効果を上げた事例もある。それがオーストラリアのメルボルンにある鉄道会社Metro Trainsが、事故防止啓発のために実施したキャンペーン「Dumb Ways to Die」だ。オーストラリアでは、踏み切りを無視して渡ったり、勝手に線路に降りたり、危険を承知でありながらふざけつつ、結局そんなバカげたことで事故死する人間が絶えず、増加傾向にさえあった。そこで、Metro Trainsはこれまでとは180度異なる新たなアプローチをとる。物事をマジメに聞く姿勢がないターゲットには、その目線を合わせた情報加工が必要と考え、彼らが振り向き、関心を持てるような接触を図ったのだ。


中心になるのは、YouTubeやFacebookなどにアップされた動画。情報接触経路としては目新しくはないもの、「公共広告なのにこれでいいの?」といった驚きをもたらすそのコンテンツは、「軽快で耳に残る音楽」「何ともユルいジェリービーンズ風のキモカワキャラクター」「次々と非常におバカな死に方を繰り返すシュールさ」で人々をびっくりさせると共に、虜にしてしまったのだ。そのキャラクターは、「自分の髪の毛に火をつける」「クマを棒でつつく」「賞味期限切れの薬を飲む」など笑ってしまうほどの簡単でくだらない死に方をしていく。確かに、子供に見せていい啓発内容なのかと疑いたくなるくらいだ。その死に方はどんどんエスカレートしていき、「ネットで自分の腎臓を両方売っちゃう」「瞬間接着剤を食べる」「狩りのシーズンにシカの格好をする」「大した理由もないのにスズメバチの巣をもて遊ぶ」と、どんどんブラックな内容になっていく。なんだか背徳感も手伝い、妙におかしく見える。「そんな死に方するヤツいないよ」と思うのだが、いくつかはあり得るのではとも思ってしまうようになる。そして曲が最後に近づくと、「駅でホームの端に立つ」「踏み切りが閉まっているのに無視して進む」「プラットホームから線路を渡ろうとする」といった、鉄道に関するよくある事故死のパターンが登場。そう、一連のおバカな死に方の一部として。最後は「結局、こういうのが一番おバカな死に方」だとまとめられてしまうのだ。


この動画はアップされると同時に大きな話題になり、YouTube再生回数は5000万回を越え、Facebookでのシェアは300万回以上を数えた。啓発キャンペーンソングのくせにヒットチャートでもランキング入りし、パロディソングも何百種類と生み出された。なぜこのキャンペーンが人々、特に若者に受け入れられたのか。それは受け手の立場に立って創られた接点がポイント。得てしてこのような啓発キャンペーンでは、真正面からマジメに「危ないことはやめよう!」と訴求しがち。しかしそれでは若者は聞く耳を持たない。単純な恐怖訴求ではなく、「そんな死に方はおバカなヤツがやることだ」と自分の死が人からおバカと言われることを許せない若者にこのメッセージが刺さったのだろう。もちろん、音楽とアニメーションの魅力は言うまでもなく、一度聞いたら忘れられないメロディ、雑なようだが愛らしいキャラクターの相乗効果があった。またそれに相反するようなブラックユーモアな内容がインパクトを生んだのだ。さらに、シェアしやすい環境を整えたことも、口コミが広がっていった大きな要因だ。ウェブサイトで曲がダウンロードできたり、スマホでのゲームアプリがあることはもちろん、この歌や動画のコピーやパロディなども全て許容している。駅構内での動画キャラを使った広告や、絵本やラジオ局への無料配信など、ネット以外のメディアにも広げていくことで幅広い年代へ訴求した。最終的には、同鉄道内での事故が21%も減ったという成果を出すこととなった。

Dumb Ways to Die

ミスマッチ(意外性)は人の関心を惹く。「えっ、なんで?」となれば、みんなその理由を知りたくなる。そして、ミスマッチにはもちろん様々な理由が包含されているため、さらに議論を生み、人々は理解、納得するまでそれについて語り合うのだ。会話や議論を巻き起こすきっかけを創るというのは極めてPR的なのだが、その王道の一つのやり口と言えるだろう。なお、「あつまれどうぶつの森」「Dumb Ways to Die」には、もう一つ日本的なユルいキャラクター、アニメーションを活用しているといった共通項がある。これはオンライン上でのコミュニケーションが、昨今ギスギスしたものになりがちという環境を和らげるための一つの方策としてフィーチャーされている。さらに今後、制限がかかるであろうモノづくりの環境も考慮すれば、定着していく可能性は大いにある。さらにユルさは意外性を生みやすい。この日本的な柔らかさが欧米的なものと融合されていくことで新しいものが生まれていくだろう。今後はこの分野における日本勢の活躍を注視したいところだ。なお余談だが、リモート疲れしたある会社では、たまに「あつ森」内でミーティングを行うそうだ。不思議に緊張がほぐれ、参加メンバーから活発な意見が飛び出すようになるという。ミーティングに行き詰まるとみんなで魚釣りなど遊びに出てしまうのが難ではあるが…。

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顔を見せ、繋がりを深める

「ソーシャルディスタンスの徹底のためイベントが禁止されたデンマークで、ドライブインコンサートが企画された。チケットは数分で完売。」そんなグッドニュースが注目を集めた。さて、アーティストはクルマの中にいる観客とうまく繋がることができたのだろうか?

ビジネスの世界でも“人となりを見る”とよく言う。その人の人間性や性格・性質などによって、ビジネスの対象として信頼がおけるのか、末永く仲良くやれるのかを測りたいというところだろう。何か頼み事をしたときには、親からよく「誰々さんとこに顔出しといで」と言われた。その貸し借りの関係性の中で、逃げることなく、常に真正面から顔を見られるということを証明するためだと思った。そう、“顔”を見せないことは信頼を失う。最近ではスーパーでも野菜や果物の作り手の名前や顔がそのパッケージに記されている。その人たちに実際に会ったことはないが、“顔”や“名前”をここに堂々と記しているのならば、リアルに存在するのだろうし、その品質も信用しても良いのではないかと思える。人の存在感や温かみは、コミュニケーションには必須のものだと感じる。そんな関係性がこのコロナ禍で寸断されようとしているが、何とかみんなの知恵で乗り越えたいものだ。


コロナ禍で様々な制約が生まれている。各国の大型イベントも延期、中止、果ては禁止までされている。もちろん多くの人が集うイベントは感染の可能性も高く、コロナへの対応策が具体化するまでは自粛するのが正しい選択だろう。ただ人間は考える葦だ。そのまま全てを受け入れるだけでなく、考え、考え、そしてそれを凌駕する。ライブイベントは個々人にとってはアミューズメント(楽しみ・娯楽)だが、ミュージシャンにとってはエンターテインメントビジネスでもある。そして、それは時によって、人によって、単なる娯楽を超えて生きるためのモチベーションにもなる。このような制約下においても、どうにか実行する手立てがないものかと考えるのは自然だ。


コロナによる様々な規制が続くデンマークでは主要なイベントは法的に禁止されている。ソーシャルディスタンスを徹底するための措置だ。図らずも、ライブホールやライブシアターを起点としたクラスター(感染者集団)が断続的に発生する中、それも致し方ないだろう。しかし、シンガーソングライターのマッズ・ランガーはその知恵を絞り、ソーシャルディスタンスを維持しつつ、ライブ感を損なわないやり方を発見した。それが“ドライブインコンサート”だ。そう、ドライブインシアターの映画上映がコンサート上演に置き換わったもの。このコンサートは開催6日前に発表され、500枚のチケットが数分で完売したという。人々のライブコンサートに対する欲求はよほど強くなっていたのだろう。

Image : via YouTube
マッズ・ランガー

1984年1月14日生まれ。デンマークのスキーベ出身のシンガーソングライター。2006年、コペンハーゲンレコードからデビュー。2009年、2作目のアルバム「Mads Langer」がヒットし、ゴールドディスクに輝き、一躍注目を集める。2011年、ソニーミュージックと契約し、拠点をロンドンを移す。2012年、シングル「Overgir mig langsomt」が初のデンマークシングルチャート1位を獲得。そして2013年、5作目のアルバム「In These Waters」が初のデンマークアルバムチャート1位を記録し、ダブルプラチナディスクに認定される。優れたメロディの自作曲を、ギターを弾きながら静かに心揺さぶるように歌うスタイルには定評がある。

コンサートでは、マッズ・ランガーの演奏がクルマのFMラジオを介して流れ、参加者はビデオ会議ソフト「zoom」を使って彼と双方向の交流ができるよう設計された。演奏が始まると、車内の観客たちはクルマのワイパーやヘッドランプを使いリアクションするなど、新たなコミュニケーションが生まれたという。また「zoom」を介して曲のリクエストなどもスムーズに行われた。演者側から見れば、クルマの姿をした観客がぎこちないリアクションをとり、声援を送るという極めてシュールな情景だったかもしれない。しかしマッズ・ランガーは「危機を冒険に変えた」とその挑戦に満足だったようだ。おかれた環境は様々あれど、最終的には人と人のコミュニケーションは何とかなるものだ。その条件下で、意思疎通しようとトライする。そしてそれが新たな手段として定着する。この事例は世界中のミュージシャンに賞賛され、勇気とヒントを与えることとなった。現在、オーストラリア人はこのコンセプトを前向きに受け入れており、その後ケーシー・ドノバンはシドニー南部のテンピにある駐車場で無料のドライブインコンサートを開催、点滅するヘッドライトで大いに賑わったようだ。オーストラリア出身であり、米国のカントリー歌手キース・アーバンも米国医療への感謝としてテネシー州で同様のイベントを実施するなど、その手法がジャンルを超えて徐々に広がっているようだ。「素晴らしいアイデアだ」と、オーストラリアのボーイ・アンド・ベアーのヴォーカル兼キーボードであるジョンハートも言う。

またクラブ大国のドイツでは、完全な音響システムと花火まで備えた駐車場でのパーティが話題だ。実際、これまでのナイトライフの在り方は、今世界中で習慣化しているソーシャルディスタンシングとは正反対のものだ。狭い空間で汗まみれになり、人々と接触を重ねるスタイルは明らかに不衛生だった。しかし、このままでは営業は立ち行かない。ドイツの文化寿命さえも縮めてしまいかねないと、各クラブのプロモーターや経営者、はたまた熱心なパーティファンたちがこういった状況下でも諦めず、パーティの再開へ向けて先陣を切った。ドイツのニーダーザクセン州シュットルフにあるクラブ INDEXは世界初の“ドライブインレイヴ”を計画。会場となる駐車場には、ステージにDJブースと大音量のフルサウンドシステムを設営。2020年4月30日から5月2日の3日間に合計250台の車(2人乗りまで)を対象にオートディスコを開催した。パーティの様子を撮影したビデオの中では、ドライバーたちがデヴィン・ワイルド、ナイテフィールド、マーヴなどのDJセットに合わせて車のライトを点滅させ、クラクションを鳴らし盛り上がる様子が映し出されている。このようなドライブインレイヴが、ドイツ各地で開催され始めたのだ。フランクフルトにあるWORLDCLUBDOMEでも、金曜日にドライブインクラブが2回、それぞれ1000人のゲストを迎えて開催された。ヘッドライナーのDJル・シュークは、 巨大スクリーンの前で火炎砲を用いたド派手パフォーマンスを披露。観衆はソーシャルディスタンシングを保つために、窓を閉めたまま車の中でショーを楽しみ、音楽はFMラジオで発信された。INDEXとWORLDCLUBDOMEはいずれも、将来こういったドライブインレイヴを増やしていくことを計画しているという。


まさにこれは“ファーストペンギン”の世界。集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛び込む勇気ある1羽のペンギンが、前述のデンマークのシンガーソングライターであるマッズ・ランガーだったと言える。ファーストペンギンは、そのチャレンジが失敗すれば、天敵にやられてしまう。ここで言えば、危険を冒してコンサートを開いた彼に対する世間からの批判であり攻撃だ。それを覚悟しながら、このようなチャレンジをして成功させたからこそ、勇敢なペンギンとしてみんなのリスペクトを集めたのだろう。リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主は、ビジネス界でも同様に“ファーストペンギン”と敬意をもって呼ばれる。余談だが“セカンドペンギン”というのもいるらしい。それはファーストペンギンの状況を確認し、無事であれば素早く次に飛び込むペンギンのこと。しかし、その二番手としてのペンギンは数えることもできないほど多く、一気にその海へ飛び込むらしい。ファーストペンギンの勇気は、仲間内にとってもとてつもなく強く大きなものなのだろう。


同様に人の存在の強さを思い知らされる事例。それはイタリアのクレモナ在住の日本人バイオリニストが行った演奏会。ビルの屋上から、医療従事者を励ますために実施された。クレモナはバイオリンの名器「ストラディバリウス」を生んだストラディバリが17世紀から18世紀にかけて活動していたイタリア北部の街。そこで新型コロナウイルスの治療最前線となっていた病院が、日本人バイオリニストの横山令奈さんに演奏を依頼した。

Image : Pro Cremona
横山令奈

1987年4月9日生まれ。大阪府箕面市出身のバイオリニスト。2006年、イタリア北部のクレモナにある国立クラウディオ・ モンテヴェルディ音楽院に留学。2011年、同音楽院を審査員一致の満点で卒業。2010年のフィレンツェ・クレシェンド国際コンクールソロの部での優勝を皮切りに、様々なコンクールで入賞、優勝を果たす。また欧州各国や米国、中国などの重要な劇場や音楽フェスティバルなどで演奏し、賞賛を浴びている。日本では二度の凱旋公演を行った。2016年に1作目のアルバム「ベートベン ピアノトリオ」(op.70 n.2「幽霊」, op.97「大公」)、2019年に2作目のアルバム「ブラームス・ドヴォルザーク ピアノトリオ」をリリース。

病院の周辺は治療用の大型テントが張り巡らされ、患者も溢れ返っている状態だ。しかしその調べは、医療従事者とウイルスと戦う患者に大きな勇気を与えた。ここで特筆したいのが、その演目だ。それはイタリア出身の作曲家、エンリオ・モリコーネが書いた「ガブリエルのオーボエ」。映画「ミッション」(米・英・仏合作)の挿入歌であり、サラ・ブライトマンや多くのクラシカル・クロスオーバー歌手がカバーしている。日本人には、フィギュアスケートの安藤美姫選手が世界選手権の優勝時に使用していた曲として記憶にあるかもしれない。この曲のコンセプトは“異なる文化の垣根を越える”。日本人がイタリア人に向け、この曲を演奏した背景にはそんなこともあったかもしれない。横山さんは高校卒業後にクレモナに渡り、地元に保管されているその価値数億円にも及ぶ展示楽器の音色を訪問者に聴いてもらう演奏会のメンバー。地元に溶け込み、外国人ながら地元バイオリニストの顔ともなっていた彼女が演奏するということに、その地域の結束を固める意味が込められていたのだろう。

このように“その人”を通じてこそ伝わることはある。同じ言葉でも誰が発するかによって、その価値や効果は全く異なるものになる。「The Most Popular Song」はプエルトリコの銀行が仕掛けたキャンペーン。就業率が低く、国民の60%が生活保護を受けているプエルトリコ。さらにリーマンショックで不況は進み、いくら探しても仕事が見つからない状況にあった。一方で、なんとプエルトリコでは“働きたい人を見つけるのが大変”というほどの国民性もあるという。そう、根っからのお気楽主義だというのだ。国民の多くが同様の考え方を持つ中、誰かが注意してもその考えが改まろうはずもない。ましてや家長であるものがそのような状況では、妻が怒っても、子供が泣いても、実父や実母が叱っても嘆いても、何も変わらない状況だった。国全体である種、当たり前になっているこの状況を変えなければ、正直、国が潰れてしまう。国家経済を憂いたこの国最大の銀行Banco Popularは国に頼らず自ら、国民の意識改革に挑むこととなる。


怠惰な生活を良しとする国民の意識を、いかに勤労な国民性に変えていくか。そこで先の問いを突き詰めて考えてみる。“一体、誰に言われれば最も効果があるのか”。そしてその語り部に選ばれたのが、世界的に有名なプエルトリコ出身のサルサ・バンドであるエル・グラン・コンボだった。実は彼らは、その国民性を形作ったかもしれない歌の歌い手。その国民的人気ソングは、「Y No Hago Mas Na'」(私は何もしない)というこれまたお気軽者のための歌なのだ。その歌詞は…。

朝起きて

シャワーを浴びて香水を振る

たっぷり朝飯を食べて

そして 他には何もしない


その後で 新聞を読んで

訃報までチェックする

じゃなきゃドラマでも観る

そして それだけ


12時になったら 牛肉と豆の煮込みと

ご飯のリッチな昼飯


その後には ハンモックに揺られ

シエスタ(昼食後の昼寝)を楽しむ

2時間寝ることもあるし

もっと寝ることもある

そして それだけ


3時頃には起きて おいしいコーヒーを一杯

タバコを一服して ギターを手に取り

歌を唄う


晩飯の時間になったら

嫁が作ったステーキとフライドポテト

サラダと色々な料理…

それを食べて 他には何もしない


そしてバルコニーに出て

偉人のように椅子に揺られ

嫁と話す


そうさ! 眠くなったらすぐ横になり

朝まで眠る 他には何もしない


ああ 何ていい生活だ 働かずに飯を食べる


聞いてくれ! 俺は汗水たらして働くなんてゴメンだ

時間の無駄さ 俺は変わらない!!

ああ 何ていい生活だ 働かずに飯を食べる


誰が仕事なんかする? 俺が?

他を探せよ! やろうとしたことはもうやったんだ!

そう、なんともうらやましい生活ではないか。本当にこんな生活ができるのなら歓迎だが、その先には破滅が待っていると知っていて、この歌を受け入れられるだろうか。そこで、このグウタラ賛美の歌を180度転換。勤労称賛の歌詞に書き換え、再レコーディング。そして無料コンサートで国民に聴かせることとした。みんな、あの“ぐうたら節”を聴くために集い、人生の先輩を仰ぎ、さらにグウタラでいようとしたのに、彼らは変わってしまっていることに参加者は衝撃を受けるのだ。とはいえ、何だかんだこの曲は音楽チャートのトップに返り咲き、プエルトリコ全土に「もっと働こうぜ!」と説教する。人生の先輩だ、仕方ない。家族もこの歌を口ずさむようになる。働くか…。結果、Banco Popularのイメージも80%向上。国民へは不意打ちを食らわせたが、それをきっかけに会話を生み出し、意識改革は遂行された。

The Most Popular Song

人の存在は大きい。様々なコミュニケーション手段はあるが、人の所作、表情、声のトーンなどを感じつつ行うものと、それ以外では大きな隔たりがある。よくPRでも“人が見える”“顔が見える”コミュニケーションが大切だと言われている。人が見えるということは、それがリアルであることの証だ。存在を感じられてこそ、人は信じるし動く。そして相互理解も深くなる。今世界ではソーシャルディスタンスが新たな生活様式の絶対的ルールであり、一方で日常生活における一番大きな障害となろうとしている。現にリアルな場でのライブコンサートなどでは、6フィート(約1.8m)の距離を保つ、入場時の体温測定、マスクの着用などが求められる例もある。しかしその距離を隔てながらも、より人と人が繋がれる場の在り方を想像し、それを様々な形で実現させていく取り組みも始まっている。ここで取り上げたグッドニュースは現時点で受け入れられつつあるやり口である。正解がすぐに見つからなくともこういったチャレンジを続けて、我々は新しいやり口をどんどん発見していくことになるのだろう。

INTERVIEW

芸人、プロデューサー

古坂大魔王

1991年に「底ぬけAIR-LINE」でデビュー。2016年にプロデュースしたピコ太郎の「PPAP」が世界的に大ヒット。YouTubeミュージック再生ランキング3週連続で世界1位を獲得。また、「Billboard Hot 100にランクインした最も短い曲」としてギネス世界記録に認定される。2020年4月に手洗いソング「PPAP-2020-」YouTubeにて公開。薬用石鹸「PIKOWash!」の発売や「ピコ太郎の手洗い推進ポスター」を無償提供するなど、手洗いによる感染防止の啓発に貢献している。

――エンタメとは何か?

エンタメとは何かというのは、人間の勝手なカテゴリー設定だと思うんですよね。だからそれがエンタメで、どれが違うとかっていうのは、本当の正解はないと思います。その境界線を引いておくことで、自分はこのカテゴリーに属しているってだけの安心感のような。もう一つ、特に最近感じているのは、エンタメはビジネスじゃないなと。最近子供ができたことが大きいとは思うんですけど、子供は言葉を覚える前から音楽でもダンスでもノってきますから。本能的に心や体が動いてしまうのが、エンタメの本質なんじゃないかなと。だからビジネスというよりも、コミュニケーション手段の一つなのかなと思います。例えば、日本人は外国人とのコミュニケーションでも言葉が通じるかどうかから確かめる、それがダメだとコミュニケーションを諦めようとしてしまう。外国人の方はもっとポジティブに、最初からボディランゲージみたいな接触してくる。場に合わせて、歌ったり踊ったり。でもそれで通じ合っちゃったりするから。日本人ももっとその辺でオープンマインドになれるともっと楽しいはずなんです。そして、その意味でエンタメは世界を繋ぐ共通語みたいな役割があるんじゃないかなと。


――PPAPにもそのエッセンスが?


僕は“ファースト・インプレッション”を大切にしてます。最初に見て、聞いて、触って、など。そこで全ては決まる。理解度も全然違う。また長々と説明しない。1分くらいで全部言い切れる感じが記憶にも残りやすい。PPAPのピコ太郎の演出では、音楽の奇抜さ、ダンスの楽しさ、見かけ、ビジュアルの面白さ、実はそれぞれが考え抜かれてる。どこから入ってもわかりやすいのがポイントじゃないかなと。一番純粋な子供から、色々見てきたおじいちゃんやおばあちゃんまで、ともかく理屈なくそのまま受け入れられるものが強いと思います。いつも僕が曲を創るときは、名前も顔も知られていない地方のスーパーでステージに上がったときに、「どれだけの人を笑わせられるか」などお笑いのステージをイメージしながらやってます。お笑いで言えば、その知名度である種の空気感が創れてしまう。それがその人のブランドであり、蓄積の強さ。先入観も基礎知識もない中でいきなり笑わせることができるような攻め方を常に考えています。一方で、曲作りにはちょっとしたチャレンジも入れています。一応プロとして、そのシンプルな中にも、玄人好みのネタを入れておく。その人たちにもハッとしてもらいたい。パッと見はわからないんですけど、よくよく見て聴いてみると「おいおい、こんなふざけた曲でこんな楽器、こんなフレーズ使ってやがるぜ!」と気付いてもらいたい。そこはある意味、お笑いでもあると思います。


――国を超え、人種を越え、共通する感情を発見するにはどうすればいいのか?


ピコ太郎と世界を回るようになってからそれに気付いたかもしれません。そのときはまだ虚ろな記憶なんですけど、あのときあの子たちはあんなことで笑ってたな、喜んでたなと。例えば子供って、うれしいとところ構わず跳ね回るんですよね。でもそれって人間の原始的な部分で、よくコンサートで頭をガンガン振る“ヘッドバンギング”ってあるじゃないですか。あれもそれと原点同じかなと。最近創った「Hoppin’ Flappin’」はまさにそれを再現してみた。ともかくあれをBGMに飛び跳ねたら楽しいんじゃないかと。手洗いソング「PPAP-2020-」は、各国で歌われているようなものをピコ太郎バージョンで創ってみただけなんだけど、1000万回以上再生されてる。そこにそんなに違和感を持たずに誰でも聴いてもらえたんじゃないかなと思います。


――PPAP後、日本の外務省からSDGs推進大使を委嘱され、ニューヨークの国連本部にも行きましたね。そういう社会を良くすることに取り組む意識が目覚めたのはその頃?


いや、そもそもピコ太郎の目標は3つあって、①世界平和、②家族・友人への愛、③宇宙物質ダークマターの存在証明です。そのまさしく“世界平和”の活動のうちの一つと捉えてもらえれば。一般人が「世界平和を目指します」と言えばそれはお笑い。「何言ってんだか」と笑わせながらも、一歩一歩それに近づいているなら、それを達成したときにもう一度笑えるくらい大きなオチ。誰もやっていない“ブルーオーシャン”でもあるし、その先で言えばノーベル平和賞取っちゃうくらいを目指しています。あとはアリアナ・グランデとのコラボとかかな、やりたいのは。壮大過ぎて、笑いになる。でも言っていれば実現に近づいていく気もするんで。肩に力入れずやってれば、そのうち辿り着くかなと。


――コロナ禍のアーティストということでは、事例にあるトラヴィス・スコットの「Fortnite」内ライブはどう見ますか?


うらやましい限り。僕は「Second Life」なんかでは結構先行して色々やっていたつもり。ちょっと廃れちゃったけど、このバーチャル世界で何かやるというのは実は僕も準備してた。コロナで動けなくなっちゃったけど。そんな中で見た、トラヴィスのバーチャルライブのファースト・インプレッションは映像がとんでもないと思った。アーティストがでかくなっているという意味の分からなさ。迫力がスゴい。それで圧倒される。で、ゲームの中、CGだとやっぱスピード感が出ないんだけど、どうするのかなと思ってたら瞬間移動をさせちゃう。ここでしかできないことをやっている、という演出の良さ。僕は世界は2つあると思っていて、こっち側の世界では現段階の最高峰だと思いましたね。ゲームやってる人からしたらそんな楽しいことなんてないですよ。ただ今後は全てがこうなっていくわけではなく、2つに分かれていくんじゃないか。この世界観が大きくなっていくというか。「Fortnite」のユーザー数は3億5千万人、それが十何億人になってこのトラヴィスのようにマネタイズできる人がどんどん出てきてリアルとトントンになっていくんじゃないかと。だから、リアルな場も捨てられないし、むしろやっていかなきゃだと思う。


――デンマークのドライブインコンサートみたいなリアルイベントのやり方も出てきてます。


これは日本でやっていたらすぐ行ったなー。何だかんだ、人がリアルに見えてるってことはその伝わり方が全然違う。遠目であっても、オンラインで顔見るのとは格段に伝わる情報が多いですよね。その表情、動き、温度感など。それがないと本当の意味でエキサイトできない。たとえ観客がクルマに乗っていたとしても、その関係性はやっぱオンラインより深いと思うんです。あと、ここの参加者には、ステージ以外のストーリーがある。家から会場までのクルマでの道のり、そこで話した会話、集ったクルマ同士の存在感、FM電波を通じた「同じ音聴いてる」という連帯感など。そしてそこに生まれるリアルタイムのインタラクティブ感はオンラインでは絶対出せない。そんな瞬間瞬間を集中して聴いてこそ、感動も残るんじゃないかなと。だから多分、バーチャルでいろいろやり方を学んで良いところも経験したけど、やっぱリアルはなくならないと思いますし、あって欲しい。

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常識を疑い、慣習を打破する

「外出制限がかかる中、自宅からロボットを遠隔操作し、美術館を自由に観て回れるツアーが人気に。」そんなニュースが脚光を浴びた。ロボットの目を通して絵画のディテールまで堪能できるこのツアーは、アートの楽しみ方を変えるだろうか?

美術鑑賞が苦手だ。何をどう観ていいのかがわからない。例えば、その画家の人生にまつわるストーリー、その画家の偉大さや技法についてのトリビア、作品の評判や作品そのものが紡いできた歴史など、聞けばなるほどと理解するし興味も湧く。しかし、いざ美術館へ足を運び、著名な絵画や彫刻を目の前にしても、あまり感慨に至らない。不幸だと思う。いい絵を観て感動する、何か自分の人生の肥やしになるようなヒントを見つける、自分でも何か描いてみようと思うなど、「ガーン!」「ジーン…」というのを本当は感じてみたいのだ。絵画教室の先生が、「画は少し離れて全体を感じ、少し近付いてその筆遣いを楽しむ。自分が何かを感じた作品だけをじっくり見ればいいし、全ての作品に何かを見つけようとしなくてもいい」と言っていた。ありがたい。それなら自分にもできそうだ。そう思いながらも、未だその“出会い”の感覚を抱くことができない。とはいえ、大抵の人は美術館が好きで、何度も同じ展示を観に行く人も多いだろう。ようやくコロナ禍が一段落し、美術館や博物館の閉鎖も解かれる状況に至っている。「やはり美術鑑賞はリアルでないとね」と多くの人は思っており、この再開については大歓迎のはずだ。しかし、外国ではこれらの人の集まる場所の開放が先送りになっているところも多い。そんな中、新たな美術鑑賞のやり方が始まっているという。


今回のコロナ禍で、当然のことながら美術館や鑑賞ツアーなどの業界は観光産業同様に大きな打撃を被っている。外出制限、ソーシャルディスタンスが浸透しつつある中、入館者は減り続けている。そもそも美術鑑賞においては、絵画にも彫刻にも触れない。しかし人の集まる場所が、すでにみんな怖いのだ。そこで、イギリスのヘイスティングス現代美術館が新たなチャレンジを始めた。それが「Hastings Contemporary Robot Tours」だ。

Image : HASTINGS CONTEMPORARY

これは参加者があたかもその場にいるような視界を得られる高品質カメラと、電動立ち乗り二輪車「セグウェイ」のように自立バランス型車輪が付いた機動力の高い「テレプレゼンス・ロボット」を操作し、ツアーガイドと共に美術館を巡るアトラクションだ。英国アクセンチュア社と西イングランド大学のブリストル・ロボティクス研究所が協働で開発しローンチした。元々このギャラリーへの見込み客への体験用に計画されていたものだが、それを実際のツアーに適用してしまったのだ。当初の目的からすれば、その美術館の概要がわかればいいくらいのクオリティを目指していたものの、このトライアルで各絵画をじっくりと観て回り、その細部も楽しむのに十分な性能を発揮するまでに至ったという。


参加者は一度に5人まで。開始5分前に参加のためのURLが配布され、事前の設定やソフトウェアのインストールなしで楽しめる。ロボットは2台1組で、1台はツアーガイド、もう1台を参加者が操作する。ロボットの操作は簡単だ。ロボットとユーザーのカメラを接続するウェブブラウザを使用し、操縦はキーボードの矢印キーで行う。高精細カメラにはズーム機能も付き、実際に絵画鑑賞するときよりもその細部を見ることができるなど、新たな楽しみ方も生み出しているという。車輪はセルフバランス機能で安定走行ができ、また約120~150cmの範囲で高さの調整が可能で、各所で最適な動きが実現する。通常のギャラリーツアーでは、静かに厳かにガイドの話を頷きながら聞き、わからないことも何となく恥ずかしいので聞かず、受動的に過ごすというのが大半だろうが、これを変化させたことは特筆すべき点だ。このロボットツアーでは、参加者はよりオープンな気持ちになり、ガイドや参加者と活発にコミュニケーションし、おしゃべりし、質問したという。これまでの美術館巡りにはない極めてエキサイティングな体験をしたようだ。さらにこの体験を魅力的なものにするため、対面型ガイドの提供やリモートで行うキュレーション、事前録画されたビデオを活用したガイドなど、バーチャル空間の拡張実験が行われているという。現在、ヘイスティングス・コンテンポラリーでは週に4回、1日30分のロボットツアーを提供している。関係者は、このロボットツアーが多くの関心を集めていることに満足しており、近い将来、全ての人が利用できる方法を見つけたいと語っている。また現地の子供たちを対象に、ロボットを活用したインタラクティブなアートクラスも開催していくという。


非営利で営まれるこの美術館は、州からの補助金を受けているがそれは運営費用の2割に満たない。それ以外はチケット販売や会場レンタルなどで何とか運営しており、展示を閉めていればその運営はすぐに危うい常態に陥ってしまう。同様の小さな美術館も同じ状況で、今後それぞれがこのような苦肉の策を徹底的に試して改良し、継続する手段を模索していくことが必要とされている。かろうじて良かったのは、この方法によって障がい者やシニア層、遠い外国に住む人々に、これらの美術作品を鑑賞できる機会が発見されたことだ。さらにはこのバーチャル来館者が増え、逼迫する収益が少しでも緩和され、コロナ禍解消後の新たなチャンスとなることを期待したい。

観光の方でも新たな取り組みは始まっている。年間で6万人の観光客と5万人のクルーズ船客が訪れるフェロー諸島は、スコットランドのシェトランド諸島とノルウェー西海岸、アイスランドの間にある18の小さな島からなる北大西洋の諸島だ。デンマークの自治領であり、デンマーク本土、グリーンランドと共にデンマーク王国を構成し、面積は1400km²、人口は5万人弱を数える。羊の放牧が有名で、諸島内には8万頭がいる。産業の中心は漁業だが、音楽や伝承の宝庫であり、観光需要も高い。それらは古い北欧の文化を残すもので、ノルウェーやアイスランドともまた違うのだという。そして、観光の目玉は、祭りやクリスマスなど時季折々に欠かせない“チェーンダンス”である。このダンスは先導役に合わせて島の古い民謡を大合唱しながら足を踏み鳴らすもので、バイキング時代には北欧で広く行われたようであるが、現在ではなぜかフェロー諸島にしか残っていない。7月に行われるフェロー諸島の最重要行事であるオラフ祭では、国会議事堂前の広場に国中から人々が集まり、巨大なチェーンダンスが日暮れ時から3時間ほど続けられるらしい。なんと指揮を執るのは首相。これはバイキング時代の集会の名残と言われている。

Image : HASTINGS CONTEMPORARY

ご多分に漏れず、このフェロー諸島もコロナ禍において島外からの訪問は禁止された。そこでフェロー諸島観光局は、オンラインでこの諸島の魅力を体験できるツアー「THE FAROE ISLANDS VIRTUAL TOURISM」を開始した。ツアーの開始時間と共に、カメラを頭に付けた島民が参加者に成り代わり、島内の様々な場所を巡るのだ。フェロー諸島の険しい山々を探索したり、滝と滝のスペースを間近に見たり、地元の人々との対話を楽しみつつ伝統的な草屋根の家を見つけたりすることが可能。さらにはカヤックや乗馬、ハイキングなどのアクティビティさえも体験してくれる。実は参加者はオンライン上で見えているガイドに対し、ゲームコントローラーで指示が出せる。進む方向を決めたり、躍動感が得られるジャンプボタンを押すなど、その時々の行動をリアルタイムに感じられるような仕組みが取り入れられている。ガイドに馬に乗ってもらい、参加者がコントローラーで操縦する体験は大迫力でリアルに迫るものだ。そのツアーは1日2回、現地時間の14時から17時までの間に1時間ごとに実施された。そして参加者は、そのガイドを自由に1人2分ずつ操作できるのだ。


このツアーは人気で、通常時の年間観光客6万人に対し、2020年4月15日のローンチ後、たった2週間でなんと16万人が参加したのだ。実のところツアーは無料だ。しかし、コロナ禍で仕方なくキャンセルした人々、コロナ後にどこかに旅行したい人々の期待を高め、「きっといつかまたこのフェロー諸島に行こう!」と思ってもらう、旅行にいくときの最初の目的地にしてもらうことを目的に考えられた施策であった。その目論見は達成されたのではなかろうか。


現在においてもまだまだ外出できない国々がある中、このようなリモートツーリズムが多くの人々の心の鬱憤をはらす一助となっている。リモートツーリズムはフェロー諸島のみならず、観光収入に大きく依存するエジプトでも政府肝入りで始まっている。5000年前のメレスアンク3世の墓やメンナの墓など古代遺跡の中に入り、自分で操作しながら歴史を紐解くバーチャルツアーである。このように今回の外出自粛をきっかけにして、旅の在り方も変わるかもしれない。コロナ後において多忙な現代人が気軽に遠い地を訪れることができるリモートツーリズムは、そのクオリティをさらに上げ、新たなツアーの形として定着する可能性もあるだろう。


実はこのサイトのオープン前に計画していたカンヌライオンズのリアル展示も偶然にもこのフェロー諸島形式での実施を検討していた。我々もこのコロナ禍で、リアルな展示イベントを一旦諦めた者の一人だ。できればいずれリアル展示を実施し、インフルエンサーにガイドとなってもらい解説付きでみなさんにオンライン参加してもらうという形にすることを考えている。どうでしょう。興味ありますか? もちろんコントローラーと“ジャンプボタン”、さらには“ダッシュボタン”も完備です。

そういえば以前、オーストラリアのメルボルン観光局も、通常期の観光プロモーションとしてバーチャルツアーを実施したことがある。これは、ツアー参加者がメルボルンを訪れたときに試してみたいフードメニューやショッピング、様々な観光地訪問、アトラクション体験を、現地の代理人がリクエストに沿い巡ってくれるというもの。リクエストしたレストランや店舗などの情報はバーチャルマップ上で次々に記録され、リアルタイムでガイドブックが作成されていく。この自分仕様のガイドブックの他、ほかの参加者仕様のガイドブックも見ることができ、実際にこの街を訪れたときには何よりも頼れる情報になるというわけだ。最近、紙のガイドブックも廃れてきているが、バーチャル上の集合知によって最新のトレンドガイドを創る取り組みは、いまでも十分に活用できそうだ。


実はこれこそメルボルンのプロモーションが求めていた成果である。メルボルンは同じオーストラリアの都市に比べて、目玉になる大きな観光資源がない。その代わりに、数百という特徴ある店舗が存在しているのだ。これらの多彩さをアピールしたいが、通常のガイドブックで言えば、小さな店舗のカタログ的羅列のようになってしまう。訪問経験者が誰かにメルボルンの良さを伝えようとしてもなかなか伝わらない恐れがある。そこで、オンラインながらも、一つ一つの店舗での感動の体験を見せていくことで、訪問検討者の感情移入を引き起こした。感情的エンゲージメントを創り出し、ロイヤルティを生み出したのだ。そして、これらの映像などは期間中に1億5000万人に視聴されたようだ。バーチャルでの予行演習、その後、満を持してのリアルツアーへ。まさにこのキャンペーンネームは「go before you go」となっているが、今後の旅行の事前準備や段取りが、これまでとは大きく変わってきそうな気配を感じさせる。

このように固定概念を越え、様々なチャレンジによってその楽しみ方を変える、あるいは変わるということは、このような切羽詰まった状態でこそ生み出されていくのかもしれない。カンヌライオンズでも、美術展の新しい楽しみ方を開発した事例がある。それが「Van Gogh BNB」だ。


シカゴ美術館は「ゴッホ展」を開催するにあたり憂慮することがあった。それはこのような有名な美術展は頻繁に開かれており、人々が関心高く来館してくれないのではないかということ。さらには今後もこのままでは、段々と有名画家の作品展もカタログなどを見ることに置き換わり、みんな満足してしまうのではないかということだった。そこで何か新たな側面で、人々がゴッホに関心を持ってくれる方法はないだろうかと考えた。そして考え出されたのが“画を知ると共に、その画家の人生をより深く知る”ということ。冒頭に述べた“絵画には興味が湧かないが、その画家の人生を語るストーリーには惹かれる”というインサイトからのアプローチだ。ここでは展示予定だった作品「The Bedroom」(ゴッホの寝室)をそのまま3次元化し、実際の部屋として体験できるようにしてしまったのだ。“これまでの絵画を眺めるという楽しみ方を拡張し、絵の中に入ってしまう”ということ。まさにこれまでの常識を超えた絵画展の楽しみ方、没入体験(イマーシブ)の創出だ。


2次元の世界をそっくりそのまま3次元に創り出すにあたっても、透視画法や色、寝室のディテールを見事にそのまま実現させており、そのクオリティにも定評がある。そして、実際にこの部屋に宿泊するにあたり不可欠なキッチンやバスルーム、リビングルームも完備されている。絵画にある“寝室”以外も造られており、宿泊客は快適に夜を過ごすことができるのだ。さらにはテレビやWifiも使用可能というのも気が利いている。この部屋は、Airbnbで予約する場合10ドル(約1100円)で宿泊可能だ。この「ゴッホの寝室」のレプリカは2部屋用意され、ミュージアムと近隣のアパートにそれぞれ設置された。ミュージアム構内に復元されているものについては、より没入体験できるように大きなスクリーンでゴッホの手紙やスケッチが写し出され、サウンド効果も駆使したデジタル体験ができるようになっている。


このアートと宿泊サービスの融合は、アートに造詣の深い人、またAirbnbのサービスを楽しみたい人という双方にアプローチする新しいマーケティング手法として斬新なアイデアと評価された。そして、実際の宿泊者はもちろんSNSにシェアをし、その感動体験を強く語っている。著名な絵画を3次元でリアルに体験するとどんな気分なのか。そんなことを考えながら絵画鑑賞するというのもオツだろう。ちなみに宿泊料金の10ドルには、個展のチケットも含まれているとのこと。こんな体験を通じてなら、きっと絵画に興味がない人も徐々にその世界にのめり込んでいけるかもしれない。

VAN GOGH BNB

このように従来の在り方を諦めねばならないときこそ、敢えて大きな変革を受け入れ、別のアプローチにトライしてみることで、思いも寄らない道が開けることもある。それまでの固定概念や既成イメージを取り払うということは大変であり、そのきっかけに遭遇することは希有であろう。しかし、今回のコロナ禍は、強制的にそういうタイミングを創り出した。これに立ち向かう中で、様々な知恵と工夫が生まれ、ニュースタンダードやニューノーマルが生まれ、定着していくことだろう。我々は自分自身でもこのきっかけを創り出せるはずだ。


例えば、映画の応援上映。これも静かに鑑賞すべき映画を、上映中に観客が大声を出し楽しむという新しいやり方だ。上映中に観客は声援を上げ、コスプレし、アテレコなども許される。盛り上がるシーンでは参加者全員で歓声を上げたり、ツッコミを入れたり、劇中のセリフを唱和したり…。またコンサートのようにサイリウム(手持ち照明)を持ち込んで楽しむなどもある。このように応援上映の醍醐味は“ファンが作品の興奮や感動を共有できる”こと。会場が一体となる楽しさがネットや口コミで話題になり、同じ映画に何度も通うファンが増えるといった現象を生み出しており、リピーター需要を高めたとも言われているのだ。これなどはネガティブな状況への対応ではなく、さらに場を楽しむための拡張提案となっており、現在の“常識”を超えて生み出されたものと言えよう。ちなみに、1975年のイギリスのホラーミュージカル映画「ロッキー・ホラー・ショー」では、同様に観客がセリフを叫んだり紙吹雪を飛ばしたり、コスプレをするなどの鑑賞スタイルがあり、“参加型映画の元祖”と称されているらしい。全く新しい話かと思えば、これも過去に学ぶものはあったということか。何かの決まり事を疑い、より良いものにならないかを常に考え、その慣習を打破する。そういった取り組みを自身ができたら最高だ。

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人が動くタイミングを知り、意識を変える

都市封鎖によりDV被害が増加。被害者を救う活動『MASK19』がすぐさま世界各地へ広がった。そんなニュースが多くの反響を呼んだ。さて、この活動はどのような仕組みなのか? 被害者と加害者がずっと一緒にいる状況で、無事に助けを呼ぶことができるのだろうか?

コロナ離婚が増えている。日本のある調査では100人中、「離婚を考えるようになった人」は10人、「後押しになりそうな人」は13人と合わせて23人となった。「考えるようになりそう」を入れれば全体の38%にもなる。また別の調査では、同じく100人中14人が離婚を考え、実際に離婚したのが6人だという。100人中の6人は、言わば全体の“6%”。そのサンプルが偏っているかもしれないが、たいそうな数字ではないだろうか。実は現在の日本(平成29年度)の離婚率は“1.70”だという。これは人口1000人当たりということで、割合とすれば“0.17%”ということ。それに比べて、6%はちょっと数字が大きい。大半は在宅勤務による夫婦間のコミュニケーションが増え、結果お互いに愛想を尽かすという感じだ。通常はコミュニケーションが増えれば、仲良くなるものだが、日本人特有の“知らなきゃ良かった”事実が顕在化してしまったことが発端となっているようだ。それは、「家にいても何もできない。手伝う意識もない」など昨今言われる“家事シェア”の話や、「コロナ禍で自粛が求められる中、外に遊びに行ってしまう」といった人間性への疑問を感じたといったもの、さらには「ずっと2人で家にいることでストレスが溜まる」という、なぜ結婚したんだろうという根本的問題に根付くものまで多様だ。確かに外出や外食、スポーツや娯楽など、発散する機会もなく家に閉じこもっているとストレスが溜まるのもわかるし、一概に責め立てられない気もする。しかし、家庭内での暴力は論外だ。日本でもこのコロナ禍でDV被害が増えているという話も聞く。せめて「Fortnite」などのゲーム内で暴れ回ってくれるならまだいいのだが…。


欧米ではそのDV被害増加がさらに顕著らしい。スペインではこの期間でDVに関する相談が18%増加、フランスではDV事件に対する警察の介入件数がなんと36%も増加しているという。外を出歩くことが大好きなお国柄なのか、屋内滞在が続くと我慢ならないらしい。たまらないのは被害に遭う方だ。外出自粛なので逃げようにも逃げられない。さらに家の中のみならず、数少ない外出機会にも加害者に付きまとわれ、助けを求めるタイミングさえ全くないという。そんな中、スペインで始まり、フランス、ドイツ、イタリア、ノルウェー、アルゼンチン、米国とその範囲を拡げているのがこれらのDV被害者を救うための活動「MASK19」だ。

Image : © Gobierno de Canarias

「MASK19」は「COVID19」に掛けたネーミングで、カナリア諸島平等研究所のキカ・フメロが考案した。彼女は以前にも洪水や休暇中など、被害者がパートナーとより多くの時間を過ごすことを余儀なくされたときにこの虐待が急増することを知っていた。またフランスではサッカーの大規模トーナメント試合があったときに同様のことがあったという。どちらも加害者が家に長時間入り浸る状況だ。当然のことながら、女性がこのコロナの検疫中に平常時より多くの虐待に苦しんでいることを確信していた。そこでスペインでは“日用品やマスクを含む医療品を買う目的での外出は許可される”ことを活かし、被害者にとってワンチャンスかもしれないタイミングに、薬局からDV被害の通報ができるよう仕組み化した。マスクは必須だし、買いに行くことも自然だ。しかし、加害者はここでも付きまとったままなのだ。変に疑われないよう、普通に薬局にマスクを買いに行く体で駆け込み、そこで自分の名前や住所、電話番号を渡し緊急サービスに通報してもらう。その場で疑われてひどい仕打ちに遭わないよう、一旦は家に帰り助けを待つこともできるし、そのまま薬局で警察と支援者が到着するまで待つこともできる。一刻の猶予もないところまで来ていると、このような希少なタイミングを活かして対応せざるを得ないのだろう。


スペインではDV被害者を守ろうとする意識がとても高い。このサービスは社会に必須とされ、常にこの対応策が検討されている。コロナ禍による閉じこもりの環境におかれれば必ずDV被害が拡大すると状況を観察しつつ、即座にこの仕組みを立ち上げている。そして“その機会を捉えて通報する”というシンプルなやり方を、この変化する生活様式の中で自然に見えるようコーディネートしたところがアイデアと言えよう。恐らく加害者はなぜ自分がここで捕らえられるのかがわからないはずだ。いつ、どこで、誰が通報したのか。それがわかりづらい仕組みでもあるのだ。


DV被害に遭っていても、その先のことを考えるとなかなか通報を決心することができずにずるずるとその被害を長引かせてしまう場合もある。またせっかく決心したのに、その通報の仕方がわからず、うまく行かない場合もあろう。このような切羽詰まった状況において、シンプルな方法でそのきっかけを提供し、社会と協力しながら被害者を救うという成果をサイクルとして創り上げたのは素晴らしく、“タイミング”をうまく活用した事例と言えよう。

人の意識を変える、行動を促すため、このタイミングを活用した事例をカンヌライオンズからも紹介したい。「Smoking Kid」は、タイ健康振興財団(Thai Health Promotion Foundation)が仕掛けた禁煙推進のためのアクションだ。財団は長年にわたり禁煙啓発に取り組んでいる。無料電話相談窓口「1600 Quitline」を設置し、喫煙習慣を止めたい人の支援をしてきたが、相談件数は月に7000件程度とタイの喫煙者人口の約0.05% に過ぎない。恐らくストレートなメッセージを広告で呼びかけても、人々には届かないし、そもそも自分の事とも思わないだろう。そこで考え出されたのがネット動画によるバイラルキャンペーンだ。


動画では、タバコを吸う大人たちに子供たちが近付き、「タバコを吸うから火を貸して」と声をかける。驚いた大人たちは口々にタバコの害を語り始める。「タバコは悪いものよ。吸っちゃダメ!」「タバコには殺虫剤の成分が入っているのよ」「顔もシワだらけになるわ」「早死にするし、遊べなくなっちゃうぞ」「肺がんや肺気腫、脳卒中とかになってすごく苦しむんだ」と。しかし、子供たちから発っせられた言葉にハッとする…。「そんなに良くないことなら、なぜあなたはタバコを吸っているの?」。タバコの害については、それを吸っている大人たちは饒舌に語れるくらいよく知っていることがここではわかる。それこそ禁煙セミナーで言われたことがあるのか、あるいは家族からいつも言われていることなのか。純粋に真剣に子供の健康を心配し、あらゆる言葉でその喫煙を止めるよう説得する一方、その心配を自分自身には向けられないのだ。「わかっちゃいるけど止められない」そんな歌もあるが、それは自分への甘えである。自分が子供たちを心配するように、彼らを心配する家族や友人もいるはずだ。その人たちの立場になれば、やはり同じ事を自分が言われる立場になるだろう。最後に子供たちは、ある手紙を渡す。「あなたは私のことを心配してくれた。今度はあなた自身のことも心配してください」みんな呆然としつつ、先の子供たちを目で追うのだ。


このネット動画は、公開から10日間で500万回再生され、国内のみならず30カ国のメディアで報道された。公開翌月、「1600 Quitline」への相談件数はそれまでの平均より40%も増加したという。ついぞ忘れがちな何かに、不意打ちのように気付きを与えるタイミングも秀逸なのだが、自分自身の声でそれを発声させ、それが言霊のように自分に降り注ぐ。そして自分の健康を考え、また自分の健康を願ってくれているであろう家族や友人を思い出すわけだ。

SMOKING KID

もう一つ、その体験のタイミングによって強い意識変化を生み出した事例を紹介しよう。それが、米国のドナー登録を促進する啓発キャンペーン「Second Chances」だ。臓器提供は人間が与えることができる究極の贈り物かもしれない。人々は95%と、ほぼ全員がドナー登録の重要性を理解しているにも関わらず、米国ではその半分しか行われていないという。頭ではわかっているのに、なぜ行動に移せないのか。これは先の喫煙者が自分自身でその害を知りつつ、タバコを止められないのと同様の状況と言えるかもしれない。この状態を改善するにはどうすればいいのか、その背中を押してやるにはどんなきっかけが必要なのか。そこで、「Second Chances」キャンペーンが始まった。


この仕組みは極めて単純。人々が少し異なるシチュエーションでそのことを考えるタイミングを提供し、自問自答させ、行動を促す。設定されたのは、交通違反での検挙シーンだ。警察官が違反行為や違反行為を犯したドライバーを止める。そして警察官はおもむろにドライバーのライセンスをチェックする。これはいつもの手順と変わりない。しかし、もしドライバーライセンスにドナー登録の印となるピンクのマークを見つければ、警察官は警告のチケット「セカンドチャンスチケット」を渡すのみで、そのドライバーを無罪放免とするのだ。200ドルの罰金は払わなくて良い。逆に臓器提供者として登録していることへの感謝を警察官から受け取るのだ。すなわち、このドライバーには“セカンドチャンス”が与えられるわけである。ドライバーは、「何これドッキリ?」と思うのだが、“セカンドチャンス”の意味をその混乱した頭でもう一度考えることになる。そして理解するのだ。「私もドナー登録していることで、他の誰かに2回目の人生のチャンスを提供できているんだ」と。そしてドナー登録したことへの自負を感じ、しばし高揚する。その自己肯定感は自信に繋がり、他の人にも伝わっていくことになる。


このキャンペーンはカリフォルニア州オレンジ郡の2つの都市で、臓器提供月間となる4月1日に実施され、その後、カナダのカルガリーでも拡大実施されるなど拡がりを見せている。結果として、キャンペーン開始月にカリフォルニアでは11万609人の新規ドナーを獲得し、前年比で38%の増加となった。今ではさらに展開都市が増え、ビバリーヒルズ、アナハイム、ニューヨーク州が加わり、これを毎年繰り返すため準備が進んでいるという。実はこのキャンペーン、ドナー登録してない人にも“セカンドチャンス”を提供している模様である。警官のマニュアルには台詞もあるらしく、ドナー非登録者向けには「セカンドチャンスをキミにあげよう。今回は罰しないよ。その代わり、あなたもドナー待機者にセカンドチャンスをあげることを考えてみて」と語りかけられるらしい。大幅に伸びた新規ドナー登録者というのは彼らに違いない。

Second Chances

「Smoking Kid」にせよ、「Second Chances」にせよ、素晴らしいのはタイミングを捉えるプラスアルファの仕掛けがあることだ。「Smoking Kid」は体験者をハッとさせる、「Second Chances」は疑似体験させることだ。これによってさらに大きな成果をもたらしている。人は説得されても動かない。また頭でわかっていても行動に移れないことはよくあることだ。それを実行動に結び付けるには、そのターゲットをよく観察し、彼らを動かすツボを捉えることだ。現在、コロナ禍によって人の価値観や行動は大きく変わってきている。この状況をきちんと見据えて、「どういう言葉を投げかけられたら気持ちが動くのか?」「どういうシチュエーションに遭遇すれば、行動を起こすのか?」「時間は、季節は、場所は?」「誰から言われるのが一番効果的?」「子供から、親から、親友から?」これらを細かく想定し、さらに立体的に複層的にシーンを創っていくことがこれからは非常に重要になっていくだろう。

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コミュニティの特長を知り、共感を創り出す

「ニューヨークの市民たちが自宅のバルコニーや窓から、医療従事者などの勇気を讃えるために一斉に拍手を送った。」そんなニュースに関心が集まった。大勢の市民が直接メッセージを発するこのアクションは、どのように生まれ拡大していったのだろうか?

「うさぎは淋しすぎると死んでしまう」「人はみな一人では生きてゆけないものだから」。多くの歌にもあるが、孤独はその生きる希望を奪ってしまうのかもしれない。誰かと繋がっている感覚、それさえあれば頑張れることも多い。


これからしばらくの間、移動制限やソーシャルディスタンスは当然のことながら残り、かつてのようにグローバルが境目なく繋がっていたような感覚は戻らないだろう。いや、感覚でなく、物理的にもだ。今回、グローバルでは各国が分断され、日本国内では各県境の往来が要請ではあるものの閉ざされた。その影響で、各所での行動や判断がそれぞれ促されることとなった。各都道府県の知事たちも、覚悟を決め、その住民らのことを第一に考え、そのコミュニティを守り存続させるために動いた。それは行政側のみならず、コミュニティに属する個々の人々においても同様だった。知事たちの言動に耳を傾け、賛同し批判し、みんなでより良き方向を目指そうと努めた。コロナ禍で最前線を守る医療機関も、その土地に紐付き、そのエリアの感染拡大を止めるために地元と連携し対策に努めた。まさにコミュニティに欠かせない存在であり守護神と言える。


世界でも感染の広がりが著しい米国ニューヨーク州。2020年3月27日の金曜日午後7時、コロナ禍で自宅待機をする人々が部屋の窓を開け、医療従事者やファーストレスポンダー、デリバリー、食料品店、薬局スタッフなどのエッセンシャルワーカー(不可欠な労働者)に対して、拍手や声援などで感謝の気持ちを伝えた。人々は窓から身を乗り出し、2分間絶え間なく拍手し、口笛を吹き、楽器を鳴らした。それは勇気を持って最前線でコロナ禍に臨み、街を救おうとする勇者たちへの感謝であり敬意であった。また市民ならず、同じくエセンシャルワーカーであろう消防隊員たちも、わざわざ病院の前に来て拍手をしていたという。この街全体でのアクションはすぐさまソーシャルメディアで拡散されることとなる。市民らは“#ClapBecauseWeCare”のハッシュタグを付けシェアし、この活動をどんどんその範囲を拡げていった。そう、どの地域、どの国の人々も、同じ気持ちを持っていたから。ニューヨークではそれが習慣化し、毎日午後7時にはこの拍手がされるようになっている。

Image : gettyimages

同様の活動は時を同じくしてシアトルでも行われており、こちらは「Make a Joyful Noise」(#MakeAJoyfulNoise)として呼ばれていたようだ。ニューヨークではその活動がさらに発展。今度は夜7時2分から、みんなで一緒に歌を唄うという新しい市民活動、名付けて「New York Sings Along」(#NewYorkSingsAlong)も始まったという。この合唱は「Peace of Heart Choir」(心の平和合唱団)というニューヨークのボランティア団体が企画したらしい。さらに地元のラジオ局のWKCR(89.9FM)とWBAI (99.5FM)が協力し、毎週木曜日の夜7時2分から、ニューヨーク市全体が一緒になって歌を唄うことになったのだという。毎週、曲は変わる予定だが第1回目に唄われた歌は、フランク・シナトラの名曲「New York, New York」。まさに街を愛する者たちが合唱するには最適な曲だったと言えよう。

ロンドンでも同様に「#ClapForOurCarers」のハッシュタグで医療従事者や介護スタッフに向け拍手を送るキャンペーンが行われた。これは、最前線で働く国民保健サービス(NHS)や介護職員などに感謝するために有志が企画したもの。予定の午後8時になると、全国のバルコニーや窓から一斉に拍手や口笛が鳴り響いた。これには英国首相のボリス・ジョンソンや王室関係者も参加しているという。そして、4月にはようやく日本でもこの活動が始まったのだ。


彼らに対する社会の感謝の気持ちは本物だし、国や企業が発信するメッセージももちろんありがたいはずだ。しかし何にも増して励ましとなるのは、やはり親しい人たちからのもの。医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーたちにとってみれば、自身が働くそのエリアの人々から感謝と敬意を示されるのなら勇気百倍に感じることだろう。人の連帯は大切だ。誰かと繋がっていることで勇気が出て、頑張っていける。それを自分も知っているから、こういったアクションが人々の中から自然と巻き起こってくるのだろう。


自分だったら何をされればうれしいか。この逼迫した状況で勇気を奮い立たせるのは、カネでもモノでもなく、人の言葉や行動なのだ。それを支える人の繋がり、コミュニティなのである。人は自身のアイデンティティを出身地や生活圏と紐付けて理解していく。また自身の街に対する義務や責任にも積極的になっていく。帰属意識がその存在の拠り所ともなるのだ。

ドイツで行われたコミュニティ起点の事例をカンヌライオンズからも見てみよう。ハンブルクはドイツの北部に位置し、エルベ川河口から約100kmほど入った港湾都市。ハンブルク国立歌劇場はヨーロッパ屈指の長い歴史を有し、バロック音楽中期のイタリアオペラ全盛期であった1678年の初公演からドイツ語オペラ上演を盛んに行っていた名門オペラハウスである。専属オーケストラはハンブルク・フィルハーモニーの名でコンサートも行う。実はビートルズが下積み時代にハンブルクで活動していたことでも知られ、その英国デビューは“ハンブルクから来た男たち”の触れ込みで行われたためドイツ人バンドと誤解されたというエピソードさえある。しかし近年、この都市においてもクラッシック音楽は退屈で、古臭いというイメージを持つ人が増え、コンサートホールに来る人は減っていた。色々な策が講じられたが、従来のアプローチでは人々にホールまで足を運んでもらうことは至難の業だった。そこでハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団は、ハンブルクの人々がコンサートホールに来ないのであれば、こちらから人々のところに出向いてライブ演奏をしようと試みた。世界最大のコンサートを開き、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団がいかに素晴らしい音楽を奏で、人々に勇気や娯楽を与えるのかを納得してもらいたいと考えた。


しかし、このプロジェクトを遂行するには3つの難問が待ち構えていた。まずは資金を援助くれるスポンサー探し。2 番目はハンブルクの街の 50 カ所の場所で演奏する 100 人の演奏家への説明である。誰一人コンサートホールにこないで、別々の場所で演奏するという初の試みであり、やり方さえ危うい状態であった。3 番目は技術上の問題である。計画としては、指揮者の様子がライブでテレビ放送され、様々な場所に分かれた演奏家がそれを観て演奏するということだったが、実際にその映像を各所に届けられるのかが不明だった。準備段階では、とにかく数多くのテストを行い、ついに100 人の演奏家は「ブラームス交響曲第 2 番」を街中の50カ所に分かれて演奏した。演奏家たちはハンブルク市内を大きなオーケストラステージに見立てたうえで、通常ステージと同様の楽器配置を拡大した形で配置された。そのため、それぞれの演奏家がダウンタウンや港、オフィス街の屋上、中央駅、カフェ、テニスコート、トンネル、教会など多様な場所で演奏することとなった。この試みはドイツのみならず、海外のメディアでも報道され賞賛を受けた。ギネス世界記録にも登録され、チケットの売上は 12.3 %上がった。

CONCERT FOR THE PEOPLE.

もう一つ、街と人の繋がりを強めた事例を紹介する。Googleがイタリアのトスカーナ地方の小さな村フチェッキオと取り組んだ「Local Heroes」だ。イタリアには6000もの小さな村が存在する。その村の建物、彫像、食べ物などの全てが、彼らがその土地で育んできた独特の文化を語る存在だ。しかし、ただ一つだけ、その役割を果たさないものがある。それぞれの村に存在する“道路”なのだ。大抵の街や村の通りの名前は同じようなものが冠され、何かを主張しているか、あるいは何かの歴史を表しているかというと実はそんなこともない。このプロジェクトでは、せっかくだからこの通りも活用し、村の住人と共にその歴史を村に移植していこうとする。その通りの名は既存のものから、そのコミュニティで重要な役割を果たしてきた個々人の名前に置き換わるのだ。住人にとっては自分の名前が通りに冠されるわけで、こんなに名誉なことはない。


応募するにはマイクロサイトを通じて、彼らの人生の物語と、なぜ彼らが村を代表する記憶として値するのかを書き込み応募する。併せて、どの通りに名前を冠したいかをGoogleマップから選択する。彼らの主張がアップロードされると、まずは承認のために指定された委員会で検討される。委員会の承認が下りた後、実際のストリート名は新しい名前、すなわち“その土地のヒーロー”の名前に置き換えられるのだ。そして標識には位置情報を発信するビーコンが埋め込まれ、人々は街路においてその“ローカルヒーロー”たちのストーリーを学ぶこともできる。小さな村には、代々語り継がれるような特徴ある住人がいるものだが、それを人の言葉で語り継ぐだけでなく、通りの名前として冠し、デジタルでも記録を残すことができるのである。


この取り組みには、住人2万3492人中、約82%にも及ぶ1万9321人がサイトを通じて参加したという。そしてこの取り組みはフチェッキオの村で歓迎され、周辺の23の小さな村でも同じプロジェクトに取り組んだ。近い将来消滅しかねないわずかな人口のコミュニティで、その歴史や人をしっかりと記録して記憶する活動は、コミュニティと人の繋がりの深さを表現しているといえよう。

Local Heroes

コミュニティは人の存在を支える重要な場所だ。生活する物理的なスペースとしても、また精神的な繋がりにおいても。今回のコロナ禍をきっかけにして、今後は小さなコミュニティ単位での活動がとても重要になってくるだろう。人々がお互いの存在を知り、お互いの顔を見ながら暮らすコミュニティでは、それぞれの環境を共有しながら関係性を強化し、繋がりを維持していくことが重要になる。これはコミュニティ内の人間同士ということだけでなく、そのコミュニティに近く存在する企業などの存在も然りだ。お互いに良い関係性を維持し、小さく近い関係だからこその強みを持てるはずなのだ。一方、これからのコミュニケーションにおいて、敢えて小さいコミュニティにターゲットを絞ってアプローチしていくことも当たり前になってくるだろう。より強固な関係性を有しているコミュニティと相互関係を築けるのであれば、それは企業側にも強みとなる。コミュニティ内での象徴的なアクションを形作り、それが各方面へ自然に展開していく。そういった段階的な施策という設計も、これからのコミュニケーション戦略策定において重要なパートを占めてくるはずだ。

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知識を共有することで、市場が広がる

「リモートワーカー向けに、手軽に作れてデザイン性も高い段ボール製デスクの設計図をスウェーデンの企業が無料公開した。」そんなニュースが話題になった。優れた商品の設計図をみんなにシェアしたこの企業には、どんな思想があるのだろうか?

“オープンソース”と聞いて思い出すのが、コンピューターのOS(オペレーティング・システム)としてその名を馳せた「UNIX」 (ユニックス)ではないだろうか。これ自体は大型コンピューターの制御などによく使われたが、日常の周りではMac OSやスマートフォンのiOS、AndroidなどもこのUNIXをベースに開発されていると聞けば、馴染みも深くなるだろう。UNIXはオープンソースとして生まれ、オープンソースにより磨かれてきた存在だ。オープンソースとは、その技術などを囲い込むことなく、誰しもが使え、その使用を通じて、使用者たちがさらに使いやすいようにとアップデートしていくもの。すなわち集合知で、常に進化していくのだ。これは学会と論文の関係性に似ているかもしれない。解き明かしたい一つの謎を、多くの研究者がそれぞれに実験・検証し、明らかになったことを論文として発表・共有していく。部分的な発見であったとしても、それをきっかけにまた新たな視点の実験や分析、検証が重ねられ、次のステップへと成果が進む。要は積み重ねだ。そして、忘れてならないのはほぼ無償で成し遂げられていくということ。まさに世の中を良くするための取り組みと言っていいだろう。特許や著作権といった、独占的で閉じたものにしないのがその核となる精神だ。オープンソースの特長は、新たな知識を積極的に他の集団と共有し、同じ文化を持つ集団が規模拡大していくことを目指すこと。集団規模が大きくなれば、カテゴリーとしての存在感が強化され、より定着していくこととなるわけだ。すなわち、オープンソースは関連するコミュニティを拡大していく効果を有しており、これからのニューノーマルにおいて、さらに台頭してくる概念として注目すべきであろう。


難しい話をしたが、オープンソースは何もテクノロジーのみに該当するものではない。このコロナ禍におけるロックダウンや外出自粛によって、日々の食事に困った人も多いだろう。外食できず、テイクアウトできる店も限られている。多くの家庭では気合いを入れ直して自炊に取り組んだり、若者たちの中には“初めての自炊”を始めた人もいるだろう。いくら料理に慣れていても、困ってしまうのが毎日の献立の組み立てだ。得意料理は限られているし、手に入る材料さえその種類が制限されている状態。毎日同じメニューでは飽きるし、もしそんな指摘を家族から受けようものならやり切れない。そんな苦境を救おうと料理界のカリスマであるミシュランの星付きシェフたちが立ち上がった。レストラン秘伝のレシピを、彼らは惜しげもなくソーシャルメディアで公開していく。通常、有名レストランのレシピというのは門外不出だ。何年もかけてその味を研ぎ澄まし、店の名物として「ここでしか味わえない!」と顧客を虜にする。しかしこのコロナ禍で、シェフたちはそんな囲い込み意識を捨てていったのだ。ミシュラン発祥の地フランスやイタリアの著名シェフらが、続々と自慢料理のレシピを無償で発信し共有していった。


地中海沿岸のマルセイユでは、ミシュラン二つ星のシェフであるアレクサンドル・マジアが、「家に閉じこもっていても作れるレシピ」としてソーシャルメディアに投稿。ミシュラン三つ星を獲得しているクリストフ・バキもまた、みんなの料理を手助けできるようにとレシピ公開に踏み切った。彼は「レシピをみんなのためにInstagramに載せるよう妻に説得された」とその背景を語った。実際のところは市場も営業停止であり、彼らが通常使うような食材は手に入らないという。そんな中でオリジナルに近い料理を、いま戸棚や冷蔵庫にありそうな材料のみで作り上げていく。そのため、一度学べばその後も家で再現できそうなメニューが並び、「今後も続けられそう」と人々は大歓迎だったようだ。

via Instagram/@alexandremazzia

もちろん日本でも同様の取り組みがある。代々木上原のミシュラン一つ星店「sio」の鳥羽周作シェフだ。コロナ禍でやはり店の営業が奮わない中、これまでにやったことがない安価なテイクアウト料理としてバインミーやお弁当に挑戦。新たなことに取り組みながらもっと役に立ちたいと、家で手軽にできそうな唐揚げや焼きそば、ナポリタンなど、通常店では出さないようなメニューを改めて研究し、レシピや調理のコツを発信している。さらに、外出自粛でよく購入するようになった惣菜パンなどのコンビニ食を、一手間かけたりちょい足ししておいしく食べられるアイデアも伝授。それらの情報はツイッターで発信されるため、なんと140文字で簡潔に伝わるよう考え抜かれている。まさに発信の仕方まで工夫された至れり尽くせりの取り組みなのだ。これらの取り組みによって、一流シェフたちにも新しい体験があったようだ。一流の食材にこだわるシェフが、一般家庭でも楽しめるレシピを次々と考案していくのは、普段なら時間を割けないチャレンジなのかもしれない。レシピを公開しているシェフたちは、口々に良い経験になったし、またこういった活動を続けていきたいと語っている。こういった自身の知恵を開くというオープンソース活動は、いずれきちんと自分への糧として戻ってくるはずだ。


一方、オフィスワーカーに貢献を果たしたオープンソースを紹介しよう。皆さんも体験している在宅勤務では、良いところ、悪いところが様々につぶやかれている。特に家ならリラックスして仕事ができそうなどと喜んでいた人には思わぬ落とし穴があったようだ。オフィスから享受していた、意外と気付かないベネフィットはその仕事環境。とりわけ、長時間居座ることとなるデスク&チェアの環境というのは大きいようだ。すでに肩こり、腰痛、偏頭痛と、オフィス並の労働を慣れない環境であるダイニングテーブルや、狭い小部屋の硬い椅子で続けたことによる健康被害が顕在化してきている。もちろんこういう環境下だし、覚悟を決めて適した机やイスを購入しても良いのだが、いつコロナが明けるのか、明けてしまえばまたオフィスだし…と、それを期待しつつ、値の張る家具を急ぎ購入してしまっていいのかと躊躇した人は多いはずだ。そんな折、デンマークのスタートアップが何ともありがたい情報をシェアしてくれた。それは彼らが開発した簡易デスク「#StayTheF***Home desk」。ちょっと物騒なネーミングにも思えるが、自宅で自粛をすることの嘆きを表現したハッシュタグから命名されたようだ。

via Instagram/@stykka.labs

オンラインですぐさま注文でき、自宅のドアの前まで配達してくれる。これはたった3枚の段ボールを折り曲げて組み立てられるもの。実際、私たちもこれを導入してみたら、何ともいい感じではないか。さすがは北欧製のデザインということで安っぽくなく、逆にお洒落な感じさえする。実はこれ、設計図もオープンソース化されていて、キットを購入しなくても段ボールとカッターさえあれば自作できるのだ。設計図を自分なりにアレンジすれば、子供用のミニミニデスクなんかも作れちゃう。「これ、普段使いでよくね?」というくらいのクオリティ。イギリスのメディアでは、このコロナ禍でのオープンソース提供をこぞって賞賛していたが、北欧の家具メーカーではこういった設計図をみんなでシェアし、いろんなところで役立ててもらうという思想が結構前から定着している。実はデンマークには、“Hygge(ヒュッゲ)”(居心地が良い、心が安らぐ)という文化が定着している。


国連が毎年発表する“豊かな国ランキング”を報道などで目にしたことがある人も多いかと思うが、2013年、2014年、2016年と頻繁に1位を獲得している。学力も常に世界上位、勤務時間も少なく仕事の労働生産性も世界5位だ。ちなみに日本は20位。週の平均労働時間が37時間とギュッと凝縮されており、ともかくデンマーク人は非常に効率よく働いているようだ。時間で管理される労働ではなく、集中して質の高い仕事をすることで、空いた時間を子供や家族、友人と家で食事をしたり、家のインテリアに手を入れたり、サマーハウス(共同所有の別荘)を購入して友人や家族と過ごしたりというのが彼らの生活スタイル。うらやましい限りだ。そして、もう一つ特筆すべきなのが消費税の高さ。しかし、これにもデンマーク人は満足しているという。消費税はなんと25%にもなるが、その見返りとして医療費や学費は無料だし、年金もしっかりと出るため何の文句も出ないそうだ。その安定感、安心感から、老後のための貯金をしている人はほとんどいない。将来に不安が少ないからこそ“今”を楽しみ、暮らしを充実させることにお金を使う。例えば、日々の生活を高揚させるような家具や食器など日用品のデザインにもとことんこだわるのだ。人と時間を有意義に過ごし楽しむといった共生文化の下、外食や服にはあまりお金をかけずに、豊かで充実したライフスタイルを実現しているデンマーク。そんな思想や姿勢が“オープンソース”を助長しているのかもしれない。


2014年頃には「Refold」と呼ばれるプロジェクトによって、たった4枚の段ボール基板から“スタンディング”“シッティング”“キャリーイング”という3形態に変化させられる段ボールデスクが生み出された。たった2分で折り畳むことができ、持ち運びも簡単。当然のことながら、リサイクルもしやすい素材でありながら、確かな強度も持っている。「Refold」はデザインを活用し、良いことに役立てることをその目標としており、この段ボール製デスクはユニセフと協力し、恵まれない子供たちの教育環境改善のためにも活用されているという。

最近では、同じく北欧家具メーカーである、スウェーデンのIKEAが社会のためのオープンソース化を行っている。それが「ThisAbels」。身体に障がいのある人にとって生活における基本的な行動は、例えば照明をつけたり、ソファから立ち上がることすら悪戦苦闘の対象となる。IKEAはスタイリッシュさが人気の家具メーカーで、そのデザインやリーズナブルプライスのファンは多い。しかし、ユニバーサルデザインのようなIKEAのソファも、障がい者にとっては例外ではなく扱いにくい家具になってしまうのだ。例えばソファ。誰もがリラックスできるようにクッションは柔らかくフカフカにし、ゆったりテレビが見られるように床に近い高さで、深々と沈み込むように座れる設計を施したソファーは、健常者には全く問題ないし、かなりの居心地の良さが実現されるわけだ。しかし、これを障がい者の側から見たらどうだろう。座面が低く、座れば沈み込んでしまうクッションは、座るときには多少勢いがあってもなんとか座れるが、立ち上がるときには逆に行動を妨げる。うまく立ち上がれず、手を着こうにも届かない。このまま動きがとれなくなるのではないかという恐怖さえ感じさせてしまうのである。例えばクローゼット。部屋の中で違和感なく見えるよう、また洋服を引っかけてしまわぬようごく小さく、おまけのように取り付けられた取っ手。しかし、腕や指に障がいがある人にとって、このドアを開けることだけでどんなに大変なことになってしまうか。もちろん、そういった不具合を解消した障がい者向け家具というものも世の中には存在する。そこは抜かりがないはず。でもこの家具は、IKEAの家具と比べると値段が約3倍に跳ね上がるのだそう。それは障がい者に対する追い討ちのようなもの。この課題を解消しようとIKEAイスラエルが取り組んだのが「ThisAbels」という取り組みである。世界中で売られているIKEAの家具は、障がい者に合わせて創られたものはない。そこで、障がい者の意見を聞きながら、IKEAが販売する家具に取り付けることで見違えるように使いやすくなる補助器具を設計。それを店舗で販売するとともに、世界 127 カ国のIKEAを通じて無料でデータを配布する仕組みを構築した。3Dプリンターがあれば、誰もがその補助器具を手にできるというわけだ。最大公約数を想定して設計された家具であっても、実はその対象は健常者がメインである。しかし、ごくささやかな仕掛けを施すことで、障がい者も含めたより多くの人のためのものになる。とてもインクルーシブなアイデアと言えよう。しかし、IKEAはCSRとして世の中に良いことをしただけではない。障がい者の人々も普通の顧客として理解し、彼らが喜ぶ対策を付加しただけなのだ。彼らを普通に事業活動に巻き込んでいる。この年、IKEAの関連製品の売り上げは約40% も伸びており、これまでとは違う新たなマーケットを拡張したということなのだ。

ThisAbels

オープンソースのもう一つの特徴、集合知によって磨かれるという部分を顕著にした事例も見てみよう。スウェーデン最大の不動産ポータルサイト「Hemnet Home」が、自社サイトに掲載されている8万6000戸の物件に対するアクセスデータを分析し、スウェーデン人にふさわしい家を設計し売り出した「The House Of Clicks」だ。


その数、200万人からの2億クリックが元データとなっているという。スウェーデンの人口は現在1000万人強。すなわち国民の約2割がこのプロジェクトに参加したことになる。その膨大なデータを解析したうえで、サイト訪問者がどのような家を望んでいるのかを実際の形にしていくという斬新かつ前代未聞のアイディアだ。まさに“クリックから生まれた家”というプロジェクト名の通りだ。


それらのデータをさらに2人の建築家が読み込み、デザインとして起こしていく。ビッグデータ活用が近年言われるが、とうとう建築・設計の分野にも採用されることになったわけだ。もちろん、人々はそれぞれ理想の家というものを、おぼろげながら頭の中に持っているだろう。しかしその要望は断片的であり、個別のパートについては明確な嗜好がありつつも、全体像を導き出そうとすると意外に漠としたものになってしまうかもしれない。そこで彼らはまずユーザーから集めたビッグデータを基にして、“スウェーデン人にとっての理想の家”を検証。その平均サイズや価格から、部屋やバスルームの数、何階建てかまでを割り出し、彼らなりの“スウェーデンの家はどう在るべきか”という視点から、2つのコンセプト「木製の赤いコテージ」「機能主義的な白い箱」を抽出し、それらのイメージをデザインに組み込んでいったのだ。​具体的には、1.5階建てという少しユニークな構造になり、広さ120㎡、3つのベッドルーム、吹き抜けのあるリビング、屋上テラスといった仕様が並んだ。デザイン画もあり、見た目は非常に開放感あるものになっている。さらに屋上テラスは、プライバシーが確保された防風対策のあるスペースであり、庭を造る余裕がない住宅地であっても日光浴ができる場所を提供する。建材は木材、外観は少し貨物用コンテナのような見かけであり、スウェーデンの伝統的コテージと同じ色調の赤いペンキが塗られている。


人は通常、他人と被ることを嫌う。同じ服装や行動など、人と同じシチュエーションを恥ずかしく思ったりする。しかし、この家は多くの人が潜在意識の中で追い求めていた理想の家なのだ。魅力を感じないわけがない。このプロジェクトは国内外のメディアで紹介されたところ、新しい建築の在り方として大きな注目を集め、わずか数週間で世界各国から600件もの予約申し込みがあったという。​またウェブサイトには187か国から46万件を超えるユーザーがアクセスしてきたという。


実は、これまで同サイトに訪れなかった新たなユーザーを獲得するという成果は、彼らが狙っていたことだった。このキャンペーンは、市場ナンバーワンとしての地位をどう活用し維持していくかを考えたところから始まっているという。スウェーデンでは、誰しもが家を買おうとすれば、まず「Hemnet Home」のサイトを訪れるという。そんな圧倒的な存在であっても、別のユニークな不動産会社が新たなアプローチを仕掛けてくれば、その地位が危うくなることもあろうと彼らは警戒していたのだ。現状の地位をいかに活かし、さらに自分たちを強くするのか。それが彼らが現状持っている特長、すなわち膨大なデータを活かすことだと考えたわけだ。その強さを人々にわかりやすい形で提示することが必要だった。それを可視化したものが、この「The House Of Clicks」なのだったのだ。

The House Of Clicks

このような事例を見ていて思い出したのが“ギブ・アンド・テイク”という言葉だ。これは何かを与えたら代わりに何かをもらう、何かをもらったら代わりに何かを与えるという、対等な互助関係のこと。どちらか一方だけが損することはないので、良好な人間関係を長続きさせるためのコツとも言われている。オープンソースはまずその知恵を開き、それを利用する人を増やすことでコミュニティを拡げ、カテゴリーを定着させる。さらに、その知恵をみんなでアップデートしていき、より良い知恵として育てる。まさに社会全体の共感を繋ぎ、ある物事を成し遂げていく様を現していると言える。この“良好な関係づくり”や“共感をベースに社会全体を巻き込み物事を成し遂げる”といったエッセンスは、まさにPR(Public Relations)そのものではなかろうか。その視点や思想は、今後のコミュニケーションに欠かせないものになるはずだ。

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テクノロジーで繋がり、情感で刈りとる

「コロナ禍で店頭営業を禁止された中国の靴店がライブコマースを始め、多くのユーザーに支持され売上も増加。」そんなニュースに注目が集まった。苦境の小売業に希望の光をもたらすといわれるライブコマースとは、いったいどのようなものだろうか?

ソーシャルメディアやSNS上の匿名による誹謗中傷が問題になっている。それは人を傷つけ、時にはその命をも奪う。人は個人特定されなければ、そんなにも残酷になれるものか。ソーシャルメディアのユーザーでも、正体を明かして発言する人もいれば、匿名のまま漂って言い散らかす人もいる。またそれを容認したままのメディアも問題視されている。以前のリアルな世界で人々は、その立場から忖度し発言に躊躇することが多かった。しかし、匿名で発言できるデジタルスペースを見つけた人々は、自分の意見を忖度なく言える場所として重宝にし、また自身の発言に共感が集まることを体験し自己肯定感を高めていった。これまで承認欲求を満たされず、リアルな場では時に緊張し、心を閉ざしがちだったこともあるような人が、その居心地の良い場を見つけ表現を重ねたくなったことについては、ソーシャルメディアの価値も評価されるべきだろう。しかし、何事も過ぎれば害となる。その居心地の良さに胡坐(あぐら)をかき、好き放題してしまうと特有のベネフィットはいずれ消失してしまう。要はバランスが大切だということ。リアルの鬱憤をデジタル上で発散しても、リアルの問題は解決しない。言い放って気分が幾分晴れたとしても、それが起因となってリアルに向かい合う機会を阻害することになる。いつしかリアルな接点を一切求めなくなるようなことさえ起きてしまいそうだ。


さて、突然のコロナ禍で日常生活に入り込んできたリモートワーク。在宅勤務や外出自粛のおかげでECサイトは軒並み好調だという。ボタン一つで何でも手に入る、店舗に行って商品の説明を聞かなくても、サイトのレビューを読めば何となくクオリティもわかるとなれば、実店舗を訪れる必要性も薄れてくるのは仕方がない。面白いのは洋服や靴など、「実際に試着してみないとちょっと買えないよね」と思いそうなものでさえ、普通にECでやりとりされていること。「その素材の質感や着心地、履き心地などはやはりリアルでなければ」とも思うのだがそうでもないらしい。そんな生活者の認識や行動を背景に、危機を迎えた中国の靴店がある。創業167年の老舗靴店「ニーアリンシェン」だ。過去には毛沢東も顧客であったという。しかしこのコロナ禍でご多分に漏れず、北京当局の検疫措置により店頭営業が禁止されてしまう。長い歴史でこれまで培った店舗営業や接客ノウハウがある日、突然封印されてしまったのだ。通常であれば途方に暮れるが、彼らは強かった。まるで経験のない、オンラインで顧客と繋がる「ライブコマース」に打って出たのだ。

Image : AP/Aflo

“ライブコマース”とは何か。これはライブ配信とECを掛け合わせたサービスだ。配信者がライブ動画を通じて商品を紹介し、視聴者がそれらを直接購入できる。パッと見は「ジャパネットたかた」のように思えるが、テレビで多くの視聴者に向けて情報発信するショッピング番組とは違う。また“ユーチューバー”のような個人のネットストリーミング配信とも異なる。ライブコマースはライブ配信ならではの親しみやすさ、出演者との双方向コミュニケーションが特長だ。視聴者との距離感がとにかく近く、視聴者とショップの関係というより、友達に勧めめられているような感覚が近いかもしれない。またライブ配信なので動画編集されていなく、その使用体験に嘘のないリアル感がユーザーにウケている。さらに、質問やリクエストなどにその場で答えることで、ユーザーの疑問や不安を即座に解決するのだ。これらがユーザーのニーズを満たし、購買意欲を上げることにも繋がっている。しかし双方向コミュニケーションといっても、堅苦しいものではとっつきにくいはずだ。ここでは商品そのものの仕様や価格を語るのではなく、その商品がどのように視聴者側のベネフィットになるのかをきちんと伝えるように心掛け、視聴者側の“共感”を徐々に醸成していく。“モノからコトへ”“プロダクトファーストからコンテンツファーストへ”。そのアプローチの仕方は従来のテレビショッピングやネットショッピングと大きく異なる。決して売りつけられている感じや、急かされる感覚はない。だんだん視聴者は司会のファンとなり、コアファンに育ち、エンゲージメントを深めていく。今後、ライブコマースはインタラクティブ性を活かして、企業・ブランドとユーザーの間でロイヤリティを醸成する役割も期待される。


技術的な部分でも工夫は多い。スマホを介したアクセスにおいて、特有の縦動画撮影を用いたカメラワーク、それに適した照明・音声など、技術的にしっかりとプロフェッショナルな体制がとられている。さらに、コメントやアンケート機能、番組中に賛意を表すハートボタンを押すとライブ画面に流れるなど、双方向の効果を上げる仕組みが投入されている。このような共感の形を可視化することで、番組に参加しているという一体感がより得られやすくなるのだ。そのほか、画面上に流れるアイコンに合わせてスクリーンショットを促すゲームが用意されたり、出演者がスマホを手にして視聴者から寄せられたコメントを読み上げたりといった工夫がそこかしこにある。ただ最後は、「誰々の着ているこの服がおしゃれ! 私も欲しい!」といった共感からの購入が多いようだ。この業界からもインフルエンサー的な存在が続々生まれそうな気配さえ感じさせる。そしてユーザー間でSNSなどを通じ、商品情報や口コミの2次拡散・3次拡散も期待でき、マーケティングやプロモーションにおける費用対効果が高いことも企業としては魅力だろう。


このような成功例もあり、中国企業は続々このライブコマースに進出し、その経験値を上げているらしい。杭州のアパレル企業は、この環境にも関わらず、前年比10%増の売上を果たすなど好調だという。中国では2018年までにライブコマースユーザーは2億人以上に膨れ上がっていると環境も上々だ。例えばライブコマースで“売上”を創るだけでなく、施設のご紹介も合わせて“訪日インバウンド”を促すことも可能だ。“その商品からその施設へ”“その施設からその土地へ”。一商品への接触から訪日までのプロセスまでをここで構築することも可能だろう。このように中国全土で、さらに業種を拡げてこのライブコマースが普及・加速している。今後、中国向けのインバウンド対策においてもライブコマースが重要な位置付けとなることは間違いないだろう。極力、人の関与やリレーションを排除したシステマティックなECとは異なり、オンライン上ではあるが人と人とのやりとりの中で商売を成立させていく。デジタルの中での“人”の売る力がものを言う世界が出来上がってきたという逆説的な現象が発生していると言える。デジタルで繋がり、人間力で売る。そんな新しいものと古いものの、奇妙なタッグが新たなセールス体験を生み出すという希有な状況を作り出している。


しかしオンラインであるとはいえ、それはさながら、店頭でのわちゃわちゃした買い物風景が再現されているかのようにも感じられたりもする。この風景、思い返せばリアルな場では結構ウザい印象ではなかったか。商品を見ていたら店員がすぐさま近づき、声がけしてくる。まずは自分で商品を確かめたいのだが、売りたい一心でやたらとリコメンドしてくる。それも、自分が聞きたいことではないことを延々説明していたりして…。それに辟易してすぐさま売り場を離れてしまう自分がいる。まあ、ECでもう一回探してみて買っちゃおう、なんて。オンラインでは、実はそんな体験が逆に楽しく思えるらしい。リアルでのウザさもなく、次々と聞きたいことを質問していることに気付く。そして好奇心を全て満たし、ユーザーは満足して靴を購入し、店を後にする。そう、PCやスマホを閉じることで。他にもリアルで苦手だったものが、デジタルだと受け入れられるケースをこのコロナ禍で経験した人は多いらしい。例えば学校。オンライン授業になったら、これまでの不登校児が熱心に授業に参加していたなど。リアルな世界とデジタルの世界では、少々お作法も異なるようだ。その場の違いで、活躍できる人も変わってくるのかもしれない。

EC絡みのみならず、オンラインでもわざわざ人との繋がりを感じたいと思わせるサービスがあるようだ。それが“オンラインジム”だ。ご存じのように、各地のフィットネスジムやスポーツジムで新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、各所が休業を余儀なくされた。感染が治まりつつある現状でも、やはり飛沫感染の可能性が高いと会員の多くが退会や休会の措置をとっているという。ジムに行けず、さりとて外出もできず、限られた時間で自宅周辺のジョギングなどで運動を続ける工夫をしている人もいるが、北半球ではサマーシーズンを迎え、マスク装着状態での運動も厳しい状況になってきた。そして、“コロナ太り”と呼ばれる、在宅による運動不足と過食が原因で少々体重増加してきた人が増え、自身の惨状を憂うソーシャルメディア投稿なども目立ってきている。そんな人々を救うべく、早期にレッスンを対面からオンラインに切り替えて、緊急事態宣言以降も指導を続けているジムがある。オーストラリアのジム「Fitness Playground」だ。


このジムを営むジャスティン・アシュレイは、なんとロックダウン後たったの1週間で、オンラインワークアウトをサブスクリプション形式で提供するシステムを立ち上げたという。彼は今後これまでのようにジムに通って運動する人は減少し、オンラインでのレッスンなどに移行する人が多くなると予想している。オンラインジムは自然な形で受け入れられ、コロナ禍が落ち着いた後も継続して活用されていくと考え、いち早くオンラインへの切り替えを判断したのだ。しかし、そもそも一番危惧したのは従業員たちの仕事が継続できるかどうかだった。「Fitness Playground」は業界チャンピオンを含む多数のパーソナルトレーナーを抱えており、トレーナーの指導に対する顧客の満足度が高かった。人と人が繋がれればリアルでもオンラインでも需要はあると確信できたのは、日頃から顧客と深い関係性があったからだという。彼は、今後ワークアウトは、1980年代のようにジムに通わず自宅で行うことがトレンドとして戻ってくるかもしれないと語っている。これを見ると、ここでもやはり歴史は繰り返すということを痛感せざるを得ない。


個人の有名トレーナーたちも、これまでのソーシャルメディアのみならず、YouTubeチャンネルを開設し、よりしっかりとしたメソッドを契約ユーザーに伝授しているらしい。そもそも自分の体型に自信がないユーザーは、集団でのフィットネスや有名トレーナーによるパーソナルトレーニングなどに対して、少しばかり臆することもあっただろう。「レッスン全体の足を引っ張らないだろうか」「まだ初心者の私がこんなプロに指導を頼むなんて笑われるのではないか」と後ろ向きになってしまうわけだ。しかしこのオンラインレッスンがあれば大丈夫だ。フィットネスで飛び跳ねるときでも横の人が気にならないし、パーソナルトレーニングでもオンラインなので近接せず緊張することもないのだ。その中でも人気急上昇なのが“フィットネススター”と呼ばれる人たちによるレッスンだという。日本ではフィットネスジムなどのインストラクターは少しばかり裏方のようなところがある。もちろん最近では、顔が知られてきたパーソナルトレーナーもいるだろうが、何せ海外では“スター”なのだ。これらの人々は均整の取れた筋肉を惜しげもなく晒し、ユーザーたちの羨望の眼差しを集める。「この人のような身体になりたい!」「この人のトレーニング方法だけでなく、生活そのものをマネしたい!」と、一気にファンになる人も少なからず存在するという。ジョー・ウィックスはイギリスのフィットネスコーチで、テレビ番組「The Body Coach」のプレゼンターでもある。彼はオンラインフィットネスのオリジネイターとも言われ、すでに2014年からオンラインフィットネスのレッスンを始めたという。彼のフィットネス方法は、短く激しい高強度インターバルトレーニング(通称HIT)だ。15秒程度のプログラム動画をソーシャルメディアに投稿することから始まり、やがてInstagramとYouTubeで最もフォローされるフィットネスアカウントの一つとなっている。また彼のプログラムは、運動のみならず食事と組み合わせたところが特長で、最初に出版したクックブック「Lean in 15」(15分の食事とワークアウト)は90万部以上を売り上げている。このコロナ禍において、彼は学校を巡って子供たちに運動方法を指導する予定を切り替え、ソーシャルメディアからフィットネスレッスンを無料配信し、自宅待機の子供たちのストレス解消に努めている。リアルでなくともオンラインで指導を仰ぎ、“フィットネススター”と触れ合えるとすれば良い体験となろう。ちなみに、このライブストリームは幅広い影響を与え、世界中の100万人を超えるユーザーに視聴されたという。

Image : gettyimages

オンラインレッスンが普及する一方で、自宅にそのためのスペースを用意したいという声も増えている。それを受けてどんなに小さなスペースでも、それなりのデザインで自宅をジムのスタジオ風に改造してくれるサービスもあるようだ、しかし、トレーニング機器を置くとなるとやはり相応のスペースが必要となる。その課題に対して米国Mirror社の「Mirror」は、全身鏡のようなスクリーンを壁に立てかけるだけの、これまでにないフィットネス機器を提案している。インテリアとして全く浮き立つことなく自然な印象で部屋に溶け込み、トレーニング時にはその前に立ってトレーニングできるというものだ。追加オプションとして、インストラクターとライブで繋がるオンデマンドレッスンも受けられる。その際、鏡は自分のフォームなどをチェックする他、インストラクターの姿が現れて指導してくれる。まるでスタジオにいるかのようだ。またスクリーンに埋め込まれたカメラで撮った姿をインストラクターに送り、個人レッスンを受けることも可能である。このような事態ではやはりテクノロジーやデザインはうまくフィットしてくるものだ。これほど機器の進化を見せつけられれば、この機会に一気に自宅のジム化を進める人が多くなるかもしれない。これからはジムに指導を仰ぎに行くのではなく、自宅にオンラインで指導者を招く時代となりそうだ。


いずれにせよ、一人で孤独にトレーニングを続けるのはメンタル上、非常に難しいことのように思える。最近人気の集団で自転車を漕ぐ“暗闇バイクエクササイズ”なども、集団だからこそ気持ちが乗りやる気が出るプログラムだ。オンラインでトレーナーと繋がり、さらに参加者同士も横に繋がり、あたかも集団レッスンしているような環境でこそ、その楽しさや成果を満足感高く享受できるのだろう。オンラインジムはそのようなベネフィットをも生み出し、新たな顧客を取り込むことができる可能性もあろう。

カンヌライオンズの事例でも、デジタル一辺倒ではなく、そこに人を介在させることで大きな成果を上げた取り組みがある。それがスウェーデン政府観光局が行った観光キャンペーン「The Swedish Number」だ。スウェーデンは250 年前に世界で初めて検閲を廃止し言論の自由を確立した国。これを記念してスウェーデン政府観光局は自国民がスウェーデンを自由に語りアピールする自国PRキャンペーンを実施する。まずは国を代表する“スウェーデンさんの電話番号”を作り、観光情報の問い合わせ窓口として広く紹介。ここに世界中からかかってくる問い合わせに対し、スウェーデン国民がそれぞれ国の代表として応答し、思い思いに自国の良いところを語る。


世界初の“国直通番号”にかかってきた電話は、事前に登録された各“スウェーデン大使”にランダムに転送される。そして、電話に出た各“スウェーデン大使”から、気候のこと、風土のこと、食や生活のこと、スポーツやイベント情報など、スウェーデンにまつわることを自由に聞くことができるのだ。この“スウェーデン大使”は、実は自国に住むスウェーデン人であれば誰でも可能。大使になりたい人は、専用ウェブサイトに自分の電話番号を登録する他に事前調査はなく、もちろん模範解答などもない。誰でも国の代表になれるわけだ。こんな気持ちいいことはない。この大使にはおよそ2万人を越える国民が登録したという。この仕組みにより、お決まりの観光情報ではなくリアルなスウェーデンを自由にさらけ出すことで、スウェーデンの魅力を国内外にたっぷりとユニークに伝えることに成功した。2万人を数えた“スウェーデン大使”は、薬剤師からウェイター、ファーマー、トラックの運転手など職業もバラバラ。その目線や価値観も当然バラバラなので、お勧めの観光場所や食事なども百人百様だ。また寄せられた質問も、オーロラのことであったりミートボールのことであったり政治のことであったりと様々。こんなに混沌とした観光ガイドだが、利用者はとても楽んで人にも利用を勧めたそうだ。スウェーデンのことを聞きたければ、現地の人に聞くのが一番。現地の人が、包み隠さずありのままのスウェーデンを生の声で語るというちょっと驚きの仕掛け。誰にあたるかわからない偶発性、人間同士のやりとりの暖かみなど、テクノロジーが進化する現在では逆に歓迎されたようだ。ともすれば、顧客対応さえ AI に置き換わりそうなこの時代に“リアルの価値”が感じられる取り組みだったと言える。

THE SWEDISH NUMBER

エンターテインメントジャンルでも述べたが、どんなにデジタルが加速したとしても、人は人とのリアルなやりとりを求める。もちろん効率化を求めれば、観光問い合わせにAIで答えたり、靴は人手を極力排してECで売るのでいいのかもしれない。しかし、なかなかそれだけ、ということにはならないだろう。一方、ここで取り上げた新たな取り組みの中でもやはりそれぞれ試行錯誤をしながら適正なバランスを見つけていく必要はあるだろう。そしてこの適正なバランスは人々の中で徐々に改善、定着していくものなのだ。

INTERVIEW

黒鳥社コンテンツ・ディレクター

若林 恵

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書に『さよなら未来』、編著に『次世代銀行は世界をこう変える』『次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』。

コロナ禍で出現した情報混乱。全ての人がプレーヤーとなり、透明性が求められる

コロナ禍ではパンデミックもそうですが、むしろインフォデミックが問題だったと思います。フェイクニュースもあったし、色々な情報発信が問題を抱えていた。情報発信については今では全ての人がプレーヤーと言えます。どこからどこまでが発信者で、どこからが受信者なのかがわからない状態。広告のように一方的に情報を発信しても伝わらないし、それでは必ずバックラッシュ(揺り戻し)が発生します。


このコロナ禍で情報の制御がより重大な問題になっていると、個々人を含めてみんなが感じたはず。こういうときこそ情報の精査が必要で、受け手としてはその情報の信頼度を確認し、送り手としてはその情報の信頼度を担保するやり方を留意しなければならないと思います。ただでさえ、ソーシャルメディア全盛の今は全てが明らかにされてしまう。嘘がつけない時代にいかにその透明性を維持できるかが重要です。今だからこそ、丁寧なコミュニケーションを心掛けないと思わぬ悪評判を招いてしまうかもしれません。


例えば、ニュージーランドの首相はコロナ禍でFacebook Liveによる情報発信をしていました。自分たちがやっていることを、透明性を持って決定のプロセスから開示していった。無言実行でなく有言実行。喧伝せず、黙々と成し遂げるのがカッコイイなどと思われていた時代はもう昔です。目標を掲げ、プロセスを明らかにし、各ステークホルダーを巻き込み、共に作り上げていく形でないと受け入れてもらえない。一方的な言動では誰も付いてこない時代なんです。


制作から事業まで、共に作り上げるスキーム

制作から事業まで、ユーザーとサービス主体が共に作り上げるといったことはAirbnbのように企業でも可能です。みんなを巻き込み、共に創る。先の事例にあるオープンソースみたいな考え方が、今後もっと領域を拡げて活発になってくると思います。クラウドファンディングやクラウドソーシングなど、ただ単に金を集める、金を稼ぐという目的だけでなく、そこへの意志を持った参加感が人々にとっては魅力になっていると思います。そのスキーム自体がコンテンツとなり、みんなが参加することになれば、それ自体がPRにもなり得ます。カンヌの事例にある「The Swedish Number」なんかも国民全員で新たな観光ガイドを作るような仕組み。これも国民が積極参加しているからこそ面白いものになる。よくある「みんなで一丸になりましょう」という意識啓発だけではなく、みんなで作りましょうという、何かの形が見える、自分もアクションを起こせるものの方が共感を得られ、受け入れられると思います。「みんなで作り、みんなのためになる」といった循環型の価値観がこれからは当たり前になるような気がします。


サブスクなども共に作り上げるものの一つかもしれません。映像系のサブスクでは成約の時点で消費者は何も見ていません。しかし、どんどんコンテンツを見て、サービスが向上していくのを楽しんでいる。車もサブスク的になってきていますが、販売成約の後、どのようなサービスを受けられるかが重要視されるようになってきている。それぞれ生活の中に入り込んでから、ユーザー自身が気付かないような欲求を、日頃のアクションから見い出し、新たなサービスとして具体化し提供する。その意味で共に育てるサービスであり、人をきちんと見て、中長期で繋がる、寄り添う思想を持っているのだと思います。

デジタル上で重要なデータは、属性よりもアクション

従来の広告では、消費者の属性を重視してきました。しかしデジタルの世界では属性といった、ある個人を定義することは重要ではなく、アクションにこそ意味があります。中国などでも消費者のアクションデータを集め、消費者からのフィードバックに学んでいます。それによってサービスが向上し、さらに新しいサービスが生まれます。中国でデジタルが進んでいるのは、デジタル上できちんとフィジカルな行動を起こさせているからです。アクションを基軸に人と接することが重要で、それがわかっている人たちはオンライン上で成功しています。


例えば私がTwitterで投稿するときにも、受け手は知識を求めてはいるものの、自分がその先のアクションを起こせるようなツイートにこそ反応してきます。情報取得のみで終わるよりも、自分を行動に駆り立てる、何かしらのきっかけが常に望まれているようです。情報価値はその機能を果たすかどうかで評価されている気がします。


たった一つのきっかけでも、全く新しい習慣が生み出される

事例にあるライブコマースのようなサービスは、単なるECとは異なり、チャットができたり、会話ができたり、ゲームができたりと何かしらのアクションを付加し工夫されています。そこが重要になってきています。また「Fortnite」でのトラビス・スコットのイベントに参加した人は、設計が見事でアクション感が良いと言っていました。実はゲームは仮想的ですがアクションでもあります。中国では企業が消費者にアプリをいかに使わせるかといった努力をしていますが、アプリはポイントが貯まったりする点で、ある種ゲームと同じだと思っています。中国では至るところでQRコードを読ませますが、データは逆に消費者に戻ってきて、ゲーミフィケーションの役割を果たしているのです。


オンラインジムの話は、昔VHSが普及したときに、ジェーン・フォンダのレクチャービデオが凄く売れて、それを使って家でトレーニングを始める女性のフィットネス愛好家が急増したという話を思い出しました。その当時はジムと言えば、男性のボディビルダー用のものがほとんどで女性はそこには行きづらかった。そんな環境で受け入れられた自宅フィットネスが、また今の時代にオンラインジムとして流行るかもしれない。今回はデジタルテクノロジーが可能にするのです。これにより、全く新しい習慣が生まれることもあろうかと思います。

企業やブランドは立場を明らかにし、行動しなければ生き残れない時代

昨今、海外では企業に中立性はなくなったと言われています。中立性を保つことの方が、どちらかの立場をとるよりも危ないと言われています。自分たちの立ち位置をきっちりと表明した人が、社会の信頼性を勝ち取れる。どっち付かずは信用されません。そしてもう一つ気を付けたいのは、情報が氾濫しているデジタル上で、いくら「こう思っています」と言ってもそれは力を持たないということ。語るべき何かをもっている、アクションを起こせる人が優位となります。そのためwoke-washing、green-washingといった、社会や環境のために何か良いことをしているよう見せかける、掛け声だけのキャンペーンはすぐに見破られ、非難の対象となります。デジタル空間では真実が明らかになってしまうからです。言動一致していないと誰も信用してくれず、話すら聞いてもらえません。


「社会建設」というアイデア

90年代まで日本の企業では、“社会建設”という言葉が普通に使われていたと読んだことがあります。会社で働くということは社会を支えること、つまり良い社会を作ることだと考えられていたんですね。しかしながら、バブル期以降は企業が社会との関係性を失っていってしまった。加えて90年代以降は、企業活動が消費者も従業員も特段幸せにしていないことが実感として明らかになるにつれて、経済が豊かになれば社会が豊かになるというロジックも破綻していきました。社会に密着し、事業を通して人を助けるというアイデアが今はなくなりました。もう一度企業は自分たちのポジションを社会にしっかり作り、その価値を埋め込まなければいけないと思います。

SPECIAL
MESSAGE

国連広報センター所長

根本かおる

東京大学法学部卒。テレビ朝日を経て、米国コロンビア大学大学院より国際関係論修士号を取得。1996年から2011年末まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にて、アジア、アフリカなどで難民支援活動に従事。ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。WFP国連世界食糧計画広報官、国連UNHCR協会事務局長も歴任。フリー・ジャーナリストを経て2013年8月より現職。2016年より日本政府が開催する「持続可能な開発目標(SDGs)推進円卓会議」の構成員を務める。著書に『難民鎖国ニッポンのゆくえ - 日本で生きる難民と支える人々の姿を追って』(ポプラ新書)他。

コロナ禍で可視化された世界の課題

このコロナ禍において、感染者は世界で700万人を超え、死者も40万人以上となりました。新たなホットスポットが世界の様々な地域に移っていく中、感染者数が一旦減少したとしても、このグローバルのつながりの中で一巡し、再発することもあるでしょう。馴れや気の緩みが怖いと思います。人々の行動を左右する、情報の正確さ、伝わりやすさやスピードなどが、今回のような事態への対応において非常に大きな影響力を持ちます。危機広報・コミュニケーションがここまで重要度の高い危機は私の国連でのキャリアの中で初めてです。


パンデミックがもたらす影響は平等ではなく、弱い立場の人に、より大きな影響が出ています。コロナウイルスの感染拡大により、世界の不平等が一気に、そして顕著に可視化されたように思います。例えばジェンダーの不平等。女性は非正規雇用も多く、企業活動が縮小されるとまず解雇されるのは女性というのが現状です。先進国のブランドが途上国でのアウトソーシングをストップすると、途上国でファストファッションなどの縫製を主に担っているのは女性で、最初に雇用を失うのは彼女たちになります。また教育においても不平等が生じます。休校を余儀なくされた状況に、先進国はオンライン学習に切り替えることができても、途上国では代替手段がなく、教育を受ける機会そのものを失ってしまうのです。


社会経済活動縮小で“改善された”環境問題

それから気候変動と環境破壊。皮肉なことに、コロナ禍の社会経済活動封縮小を受けて、CO2の排出量や各種の汚染レベルが低下し、自然界における本来の姿、空や海の青さを実感した人も多かったでしょう。もちろんこれだけの痛みを伴った上での結果ですが、実はコロナ禍においてもサイクロンやハリケーンが各地で発生しており、被害を受けた途上国の復興にはいつも以上に時間がかかることが懸念されます。気候危機に対する取り組みを一時とも忘れてはなりません。


今後、より包摂的・公正・グリーンで持続可能な社会づくりを目指していく中で、SDGsはまさに道筋を示す羅針盤になります。今回のコロナ禍で表出したさまざまな課題を意識し、今こそ「より良い復興(Build Back Better)」を目指すときです。SDGsの達成期限である2030年までの「行動の10年(Decade of Action)」は、行動の規模を拡大し加速化する必要があります。ありがたいことに、最初は企業が関心を示してくれたSDGsに、最近は若者が非常に高い関心を持ってくれています。小学校でもすでにSDGsについて学び、子どもや若者がSDGsを達成するには何をすべきか考え始めています。今後はこのような若者層を中心にこの考え方が広がっていくことを期待したいと思います。


必要なのは大きな連携・連帯

このような大きな社会課題には、一つの会社や、一つの国だけでは対処できません。垣根を超えた横のつながりを作り、活用することが必要です。今回のコロナ禍は、医療危機だけではなく、人権の危機、人道の危機、社会経済の危機、開発の危機とあらゆる危機に広がり続けています。そこで国連は、世界のコミュニケーターたちに彼らのクリエーティブなアイデアで国連の活動に協力しほしいと公開ブリーフを通じて呼びかけたのです。


※公開ブリーフとは:国連パートナーシップ事務所がグローバルな新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対策を促進すべく、3月30日(英国・ロンドン時間)にクリエーティブ産業にコンテンツ作成の協力を呼び掛けました。世界保健機関 (WHO)と国連が優先する6つのアクション(キーメッセージ)を促進するためのコンテンツ作成に関する公開ブリーフ(Open Brief)が、Talenthouse上のページに掲載されています。


「What、Why Care、What Now」のナラティブを紡ぐ

フィジカル・ディスタンスの重要性や、デマへの対処の仕方、またはコロナウイルス感染症状の正しい理解など、科学者や専門家が伝えたいことをコミュニケーターがより平易で分かりやすい言葉で伝えてくれるのは、極めて重要な意味を持ちます。実際われわれは、単に国連の活動を発信するのではなく、「何が問題で、なぜあなたに関係があり、共感してもらいたいのか、そしてあなたは何ができるのか」をきちんと伝えること、すなわち「What、Why Care、What Now」というナラティブの形での理解・浸透を日頃から心掛け、公開ブリーフが求める内容もこの3Wが通奏低音としてあります。


最終的にこのブリーフに対して、140を超える国々から、16,000以上の作品が寄せられ、公開されました。また作者をクレジットすれば誰でもこれらの作品を自由に使えるという仕組みとなっています。この公開ブリーフへのコミュニケーション業界からの関心と、生まれた連携について、非常に勇気づけられ、また感謝しています。また危機に共に立ち向かい、世の中を勇気づけるこれらの活動は、一般の人々の間でも自主的に起こっています。国連ではそのようなローカルヒーローを取り上げ、積極的に紹介もしています。実はこのコロナ禍では日本からも多くのストーリーを国連本部と共有しました。例えば全国160社の花火業者の方々が連携し、悪疫退散祈願の意味で全国で花火を打ち上げた活動は人々を励まし、明るくしたと思います。今回のこのWebサイトでも世界のグッドニュースが採り上げられていますが、これらのストーリーが共有され、共感をもって拡がることで、人々を勇気づけ、連帯や思いやりの精神を浸透させ、今後の社会の指針となるよう願っています。


一方で国連は、新型コロナウイルス感染症にまつわるデマの蔓延と戦うため、信頼できる正確な情報を増やし、普及させるためのイニシアチブ「Verified(ベリファイド/検証済み)」も立ち上げています。新型コロナウイルスが引き起こす3つの感染症、“病気”“不安と恐怖”“差別と偏見”の負のスパイラルに陥らないよう、インフォデミックへの対策も進めています。


社会を動かすコミュニケーションの力

一方で、外出の自粛要請などで、DVから逃げられなくなった人が多くなり、日本でもメディアで取り上げられることとなりました。こうした課題の認知啓発だけでなく、具体的な対策や支援につなげることで、コミュニケーションの力、メディアの力が発揮されます。

今後のフェーズでも政府だけでなく、生活者一人一人も加わって、みんなでいろいろ頑張らなくてはいけません。ここまであらゆる層、あらゆる国、社会のさまざまなところに影響を与えたコロナウイルスに対し、自分ゴト化し何ができるのかを考え、取り組んで欲しい。そういった連携・連帯を生み出すため、コミュニケーションは大切だし、コミュニケーションの力が試されているところでもあると思います。


接点を見つけて人を巻き込む

人を巻き込むには、それぞれの人との接点を見つけ、理解・浸透を図っていくことが重要です。人によっては、より音楽に反応する人もいたり、美術に反応する人がいたり、また料理に反応する人もいるでしょう。そういった人とのつながりを生み出すコミュニケーションプランに、川上から関わり、戦略部分から参加してもらうことが必要です。こういった取り組みを通じて、今こそ、国連とクリエーティブ業界、コミュニケーター業界全体が協力し、正解のない中、共にニューフロンティアに立ち向かっていくときだと思います。

01/10